Stella Maris (Einstürzende Neubauten)和訳

 もういっちょ。ブリクサによる直球ラブソング。

youtu.be

 ブリクサの相手役を務めるはMeret Beckerというブレーメン出身の俳優・歌手で、ノイバウテンの重要メンバーであるアレクサンダー・ハッケ(当初ギター、のちにベースに転向。ノイバウテンのダイレクター的ポジションを務める)のパートナー。ハッケとはこの曲を含むアルバムEnde neuのリリースから4年後に別れている。出演作品はあまり日本では公開されていないようで、検索してもほとんど情報はない。しかしいい声してますね。

 

 ドイツ語は学生の頃に選択しましたが結局習得に至らず、この訳はgoogle翻訳で独→英変換したものをメインに、単語・熟語レベルは独和辞典を引きながら行いました。まあそんなに的外れな訳にはなってないんじゃないかな多分、知らんけど。

 ちょっとくどくなるな、と思って訳さなかったけど「ナンガ・パルバット、K2、それからエベレスト」とか「ティエラ・デル・フエゴ」みたいな単語見ると、ああブリクサだなあという気がします。いや知らんけど。ブリクサのこと何も知らんけども。すみませんなんか「中坊の頃にたまたま部活が一緒だっただけの知り合い」みたいな口きいてすみません。

 というのはともかく、ほぼ全パラグラフ「会えない」としか言ってないのに「どうぞお幸せにね……」と言いたくなってしまうラブソングですね。まあPVだと最後逢ってるんだけどね。ほらやっぱPV見ない方がいいんだって。

 ノイバウテンには好きな曲が他にもたくさんあるので、気力があるときにまた訳したいですね。Sabrinaとか。

 

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Ich träum' ich treff' dich ganz tief unten
 僕はいつか君と会う夢を見る
Die tiefste Punkt der Erde, Mariannergraben, Meeresgrund
 マリアナ海溝のその底の最深地点と
Zwischen Nanga Parbat, K 2 und Everest,
 この世で最も高い山頂の間で
Das Dach der Welt dort geb' ich dir ein Fest
 この世界の屋根の上で 僕は君のための祝宴を開こう
Wo nichts mehr mir die Sicht verstellt
 視界を遮るものの何ひとつない その場所で
Wenn du kommst, seh' ich dich kommen schon vom Rand der Welt
 君が来るのなら 世界の端から駆けてくるのが見えるはず
Es gibt nichts Intressantes hier
 ここには僕らの興味をそそるようなものは何もない
Die Ruinen von Atlantis nur
 アトランティスの遺跡の他は何も
Aber keine Spur von dir
 けれど君の足跡は見つからない
Ich glaub' du kommst nicht mehr
 きっともう君は来ない

Wir haben uns im Traum verpasst
 僕らは夢の中でお互いを見失ってしまったから

Du träumst mich ich dich
 君は僕の夢を見る 僕は君の夢を見る
Keine Angst ich weck' dich nicht
 心配しなくていい 君を目覚めさせることはしない
Bevor du nicht von selbs erwachst
 君が自ら眠りを覚ます それまでは

Über's Eis in Richtung Nordpol dort werd' ich dich erwarten
 僕は君を待つ 北極点を指す氷塊を超えて
Werde an der Achse steh'n
 地軸の上に立って 君を待つ
Auf Feuerland in harter Traumarbeit zum Pol
 ティエラ・デル・フエゴからでは 北極点は夢のまた夢
Wird alles dort sich nur um uns noch dreh'n
 この世のすべては僕らの周りをただぐるぐる回っているだけなんじゃないか?
Der polarstern direkt über mir
 北極星は僕のちょうど真上にある
Dies ist der Pol ich warte hier
 ここだ、この極地点で僕は君を待っている
Nur dich kann'ich weit und breit noch nirgends kommen seh'n
 どこまで見渡しても君がやって来る姿は見えないけれど
Ich wart' am falschen Pol
 そうか、僕は間違った方の極にいたんだ

Wir haben uns im Traum verpasst
 僕らは夢の中でお互いの姿を見失う

Du träumst mich ich dich
 君は僕の夢を見る 僕は君の夢を見る
Keine Angst ich weck' dich nicht
 どうか心配しないで、君を叩き起こしたりしないから
Bevor du nicht von selbs erwachst
 君が目を覚ますまでは決して

Bitte, bitte wech' mich nicht
 どうか、どうか僕の眠りを覚まさないで
Solang ich träum' nur gibt es dich...
 君が確かに存在している そんな夢を見ているんだから

Wir haben uns im Traum verpasst
 僕らは夢の中で互いの幻影を掴み損ねる

Du träumst mich ich dich
 君は僕の夢を見る 僕は君の夢を見る
Keine Angst ich weck' dich nicht
 大丈夫だよ、君の眠りを妨げはしない
Bevor du nicht von selbs erwachst
 君の瞼が開くまでは

Lass' mich schlafend heuern auf ein Schiff
 船の上で眠らせてくれないか
Kurs: Eldorado, Punt das ist dein Heimatort
 行き先は理想郷、そこが君の故郷
Warte an der Küste such' am Horizont
 海岸に立って 僕は水平線をなぞる
Bis endlich ich sehe deine Segel dort
 君が揚げる帆を探して
Doch der Käpt'n ist betrunken
 けれど船長はしたたかに酔っぱらっていて
Und meistens unter Deck
 船室から一向に出て来やしない
Ich kann im Traum das Schiff nicht steuern
 夢の中でさえ 僕は船を制御できない
Eine Klippe schlägt es Leck
 ついには絶壁が船に穴を開けて
Im Nordmeer ist en dann gesunken
 北の冷たい海に船は沈む
Ein Eisberg treibt mich weg
 氷山が僕を遠く遠くへ追いやってしまう

Ich glaub' ich wede lange warten
 僕はいつまででも待つだろう
Punt bleibt unentdeckt
 沈む船がついに見つからなくても

Wir haben uns im Traum verpasst
 僕たちは夢の中でさえ もう出会うことはない
Du träumst mich ich dich
 君は僕の夢を、僕は君の夢を見ているのに
Keine Angst ich weck' dich nicht
 案ずることはない 僕は君を目覚めさせたりしない
Bevor du nicht von selbs erwachst
 朝が来るまで君は眠り続ける

Du träumst mich ich dich
 君は僕の夢を見て、僕は君の夢を見る
Keine Angst ich finde dich
 どうか不安がらないで 僕は君を必ず見つけ出す
Am Halbschlafittchen pack' ich dich
 探し出した君を微睡みの中に閉じ込めて
Und ziehe dich zu mir
 僕のそばから離さない

Denn du träumst mich, ich dich
 だって、僕らはお互いの夢を見ているから
Ich träum' dich, du mich
 僕は君の夢を見る 君は僕の夢を見る
Wir träumen uns beide wach
 僕たちは目を開けたまま ふたりの夢を見ている

faults feat. toni halliday (acid android) 和訳

 いつぶりの更新かまるで思い出せないがとにかく更新する。別の場所でひっそり公開した英詞和訳。

 acid androidラルクのドラム・yukihiroのソロプロジェクト。その1stミニアルバム(フルアルバムをカウントすると2枚目)のタイトルナンバーに、なんとcurveのtoni hallidayが参加したのだ。どうなってんだラルクの人脈網。

 こういう曲好きですね。好きですよ。toniがヴォーカル・作詞であることを抜きにしてもかなりいい。acid androidはしばらく追ってましたが、歌詞に日本語が増えてきた辺りからあまりツボにはまらなくなって最近はご無沙汰です。

 

 意訳強めというか、なんかこう、もうちょっと上手い言葉が見つからんもんかなと思いつつ全然見つからなくて語彙力の至らなさを痛感した次第です。

 PVは

「女性が陰鬱な部屋にいる。机には紙とペン、水のボトルにグラスだけ。彼女は手すさびにペンを取り、ワインで満たされたグラスの絵を描き、その紙を丸め暗闇に向かって放り投げる。ふと顔を上げると、目の前にはワインのグラスが現れていた。

 それから彼女は猛然とペンを走らせては紙飛行機を飛ばす。その度に望むものが現れる。ハムにチーズ、ふかふかのソファ、豪奢なシャンデリア、大きな旅行鞄、本の並ぶ棚、そしていくつもの写真立て。収められた写真は笑顔の彼女とひとりの男性を映したものだが、どれも男性の顔に黒い靄がかかり、その表情を見ることはできない。

 彼女は最後の紙飛行機を飛ばす。暗闇の向こうから現れたのはひとりの男性。被った帽子を直し、彼女をまっすぐに見つめる。歩み寄るふたり。彼に縋り付かんとしたその時、彼女の両手首には錠がかかる。部屋は再び陰鬱な空虚に戻り、彼女は男に促されるまま格子戸を出る。長い廊下は蛍光灯に白々しく照らされている。

 時間だ。かつて愛した男をその手で殺めた女の死刑が間もなく執行される」

 みたいな内容で(説明が長い)、これに大いに引っ張られた訳になったことは否めない。

 PVというやつは一体何なんだろう。何なんだろうってその曲をPromotionするためのVideoなのだが、私はあまり映像という媒体が好きではないので、どうも素直に見ることができない。曲の解釈を限定される、あるいは特定の解釈に誘導されるような気がする。じゃあPVなんか見なきゃよかったんだが、見ちゃったんだよね。私が悪い。

 

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I have a love that has no strings
 愛に代償など求めはしない
an open door where secrets hinge
 秘密は白日の下に晒されてしまった
i'm in full view but never seen
 私はここにいるのに、あなたの目には映らない
this is my love and all that it means
 これが私の愛、これが全て
i can't make you see what i do
 私に見えるものをあなたが見ることはない
when your nice you know i don't like you
 知っているでしょう、「素敵」なあなたに私は嫌悪を覚えると

I have a heart that can't be bought
 この心に誰も値段など付けられない
i learnt my lesson but came up short
 どんな教訓も私を救いはしなかった
i'm in full view but never seen
 あなたの目の前に立つ私をあなたが見ることはない
this is my challenge you know what it means
 私の苦しみをあなたは分かっているのでしょう
i can't make you see what i've become
 こんなふうに成り果ててしまった私をあなたが見ることはない
when your nice your not as much fun
 あなただって「素晴らしい」あなたでいることを、本当は嫌悪するくせに

with all your faults and all
 あなたの犯した全ての過ちを背負って
run and hide as fast as you can
 走って、隠れて、できるだけ速く
don't get caught by the bogey man
 どうかあの亡霊に追いつかれる前に
run and hide as fast as you can
 走って、隠れて、その息が切れても
don't get caught, no don't get caught, no don't
 どうか捕まらないで、どうか、どうか

Have i ever let you down
 あなたの理想に追いつけなかった
have i ever made you frown
 あなたのそんな顔は見たくなかった 
you know i play the clown whenever your around
 知っていたでしょう――あなたが傍にいるときはいつだって、私は哀れな道化だった

さようならAmazon.co.jp from Switzerland

2018年末より、Amazon.co.jpからスイスに商品を発送することができなくなっています。

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これはスイスの付加価値税法の改正によるもので、2019年1月以降、大口オンライン・リテイラーからの発送物もVATの対象となることを受けてのもの、とのこと。スイス国内の販売業者の保護が主目的のようですね。あー、めっちゃスイスっぽい、という感じ。

VATが課税されるだけで取り扱いを全面停止するなんてやりすぎでは、という感じがしなくもないが、できないっつうんだから仕方がない。

これでスイスではAmazonが全面的に使えないか、というとそうではなくて、

・デジタル商品(電子書籍や音楽・映像データ)はAmazon.co.jpを含むどのAmazonサイトも利用可能

EU加盟国のAmazonからであれば、紙書籍やCD・DVD・Blu-rayも購入可能

なので、「日本のアーティストのCDや、日本語の書籍が欲しい」ということでなければ引き続きAmazon.co.jpもスイスから利用可能です。

 

で、日本語の書籍が欲しいならAmazonでなくhontoがあります。何回張るんだこの記事。とにかく海外在住者は本はhontoで買え。

 

iwomfpp14.hatenablog.com

 

さて、今回わたしがAmazon.co.jpで何を買おうとしたのかというと、CD(物理)です。なんだ(物理)って。でも他にどう説明したらいいんだ。CD(円盤のほう)とかか。

スイス生活に突入してから、好きなアーティストの新譜はiTunesでデータ購入、一時帰国中に円盤を再度購入という買い方をしている。発売されたらすぐ聞きたいが、円盤のほうも欲しいのでお布施がてら二重に金を払う。愛するものへの課金すなわち賃金労働者としての喜びだ。何が楽しくて賃金労働してるって、稼いだ金を使うためだ。あほなのかおれは。

とにかく、データ購入で済むべきところ、あえて円盤を買うことにしたのには理由がある。初回限定盤特典だ。具体的に言うと、Plastic Treeの「続・B面画報」初回限定版にのみ付属するDVDが欲しかった。「灯火」MVと、メンバーが酒を呑みつつダラダラ話す「プラっと語リー酒」を、どうしても見たかった。

データ購入には初回限定盤特典が付属しない。さりとて、次の一時帰国を待っては初回限定盤が手に入らないかもしれない。Amazon.co.jpで購入して実家に配送しておいてもいいが、最近どうにも元気が出ないのでできれば早めにDVDを見たい。が、そんな理由で実家の人間に転送を依頼するのもお互い面倒くさい。

で、気が付いたらHMVで注文を完了していた。18日注文、19日デパッチ、25日に配達完了という、たいへん好感の持てるリードタイムだ。タワレコでもよかったのだろうが、個人的にタワレコの「No Music, No Life」が気に食わないのでHMVにした。死なねえよ、別に。あってもなくても生きていけるから音楽ってのは尊いんだろうがよ。

送料だけで2,200円取られて、CD1枚買っただけなのに8,000円近く支払うことになったが、これも心の安寧のためと思えば安いものだ。わたしはロマンチストなので、金で買えるものなら金で買う。ロマンチストは買えるものを買えないものと誤認して成立する憧憬を許さない。何の話だ。

世界の果てに似たものを見る(ノールカップへの行き方)

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世界が巨大な亀の甲羅の上で数匹の象に支えられたお盆のようなものだったらよかったのにと思うことがある。

限られた地上面積をはいずり回るだけの卑小ないきものにとって、地球がお盆だろうが球体だろうが洋ナシ型だろうが日々の生活認識は変わらないわけだが、お盆コンセプトの優れているのは世界に果てがあるところだ。世界の果て、その水平線を超えたらそこには何もない。

「何もない」状態に常に惹かれる。あらゆる存在や思考の拒絶、強靭な否定、絶対の静寂。宇宙空間がダークマターとかいうやくたいもない物質らしきもので満たされていると聞いたときは心底落胆したものだ。死後の世界などあってたまるものか。「何もない」空虚にダイブして物質としても概念としてもきれいさっぱり消滅したい。脆く崩れる白茶けた骨すら残さずに。無に対するロジックなき憧れに脳みそをべったり覆われたまま三十路にたどり着いてしまった。

とはいえ、どうやら世界はお盆ではないようなので、世界の果てを見ることも、ましてや飛び込んでみることもできないらしい。誠に遺憾だが世界の秩序がそうだというのならいかんともしがたい。であるならば、せめて「それっぽいもの」を見に行くことはできないだろうか。

できるのである。ノルウェーの北端はノールカップ、直訳すると"North Cape"、北極点まで2,100㎞あまり。ヨーロッパの最北端といわれるが、実際はもう数キロ北に本当の最北端があるらしい。まあ、それはいい。ほぼ最北端。別に北にこだわる必要もないのだが、どうも南端よりも北端のほうが「世界の果てっぽさ」が強い気がするので北に行く。アフリカとか南米は遠いし。

 

世界の果てっぽいポイントまでどう移動するか。

今回はとにかくノルウェーの大きさに泣かされた。ひたすら移動で1日を潰す。なんというか、東海道新幹線に乗る人が静岡県に対して抱くいらだちというか、「ええかげんにせえよ」という、えもいわれぬ感情に似ているかもしれない。旅程は以下の通りだ。

ジュネーブ → ブリュッセル → オスロ → アルタ → 一泊 → ホニングスヴォーグ → ノールカップ

ジュネーブからアルタまでは飛行機を乗り継ぎ、アルタからホニングスヴォーグ、ノールカップはバスで移動する。ジュネーブからオスロの直行便が押さえられればよかったのだが、時間が合わずに過去最大回数の乗り換えと相成った。なお、ホニングスヴォーグにも空港(というか飛行場というか)はあり、トロムソから飛んでいるようなのだがこちらもうまくスケジュールが組めなかった。

 

さて、アルタに着いたとしよう。いきなり蛇足から入るが、7月のノルウェー北部は見事に白夜の世界だ。日没、午前0時。日の出、午前1時。ホテルのカーテンを閉めてベッドに横たわると、カーテンの隙間から光が差し込み、学生の頃、徹夜で飲んでぐったりと就寝した午前7時を思い出す光景だ。

アルタからホニングスヴォーグまでは長距離バスで4時間ほどかかる。本数はさほど多くないので注意されたい。

http://www.nordkapp.no/en/transportation/bus-to-alta

ノルウェーでは一般的な記述法のようだが、曜日を数字に置き換えた時刻表が各地で見られる。上記時刻表では、9時アルタ発の便は日曜しか運航しておらず、11時45分発の便は土日は運航していない。

このバスはアルタ市内の観光案内所前が始発だ。その後、アルタ空港までの停留所を経由してSkaidiとOlderfjordで各10分程度の休憩を取りながらホニングスヴォーグまで直行する。

アルタで一泊するなら観光案内所から、空港に着いてそのまま移動したいなら空港から乗るのがいいだろう。料金は乗車時に運転手に対して支払う。「ホニングスヴォーグまで大人いちまい」と言えばいい。クレジットカードを使用できる。

www.google.ch

何しろ4時間の長丁場なので、あらかじめおやつと飲み物は買っていったほうがいい。SkaidiとOlderfjordにも売店はあるが、お土産物屋に毛が生えた程度のものなので期待しないこと。アルタ空港は発着ロビーにしか売店がないので、着陸後すぐにバスに乗るなら税関ゲートを通過する前に調達しなくてはならない。観光案内所の目の前にはショッピングセンターがあるので利用しよう。

バスはノルウェーの原野を突っ切ってひた走る。国土、特に平地の面積が限られている日本ではあまりお目にかかれないくらい「何にも使っていない」土地が広がっている。途中、数キロにわたってひたすらまっすぐな道を走るので、前方座席に座ると気持ちがいいかもしれない。空模様によってはオートレフケラトメーター(眼科で見せられる、まっすぐな道の向こうに気球が浮いているアレ)のような光景を拝めるだろう。だから何なんだという話ではあるのだが。そして視力のいい人間には通じないネタだが。

portal.nifty.com

あの画像はアリゾナの道路らしい。

 

閑話休題

黙って乗っていればホニングスヴォーグの観光案内所に到着する。乗車率が低ければ運転手もわりとフレキシブルなので、宿泊するホテルを通りかかるようなら途中で降ろしてもらうことも可能だ。

いざノールカップ、ということで観光案内所に聞いてみよう。いつバスが出発するか教えてくれる。併せてこちらのページも参照されたい。

Visit Nordkapp |To do, Nordkapp, Transport

ここにある通り、単なる往復のバスから現地でのツアーやアクティビティ込みのものまでいくつかのプランがある。お好みに合わせて選ばれるとよいが、私は現地では好きに過ごしたかったので往復便のみのNorth Cape Expressにした。片道30分ほど、現地には2時間ほど滞在できる。

 Visit Nordkapp |The North Cape Express, Bus, Transport

観光案内所のカウンターで支払うと、チケットというかレシートを発行してくれる。バスは観光案内所の真横、隣接するホテルとの間から出発するので、運転手にレシートを見せればOKだ。バスは荒野を走る。たまにトナカイの群れが草を食んでいるのが見えるくらいだ。

 

天候がさほどよくなかったのもあって、確かにその光景は世界の果てに似ていた。似ていたといったって実際に世界の果てを見たことがあるわけでなし(そして二度と見られないまま取るに足らない死を迎えるのだろう)、せいぜいが想像していた世界の果てのいくつかのパターンの、そのうちのひとつに似ているように見えたというだけだ。

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低く垂れこめる雲が霧となって辺りを煙らせている。遠くの山際からかすかに陽光の気配が覗く。風がひどく強い。気温は6℃、足元を駆けていく子供が7月だというのに手袋をしているのが見えた。

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海の上を雲が渡る。そのずっと先、水平線の向こうにはきっと北極がある。北極をさらに通り越したその向こうはカナダかアラスカあたりだろうか。世界に果てはない、こんなにも果てがあるように見えるのに、世界が果てることなどない。どうしてあの水平線の先が巨大な瀑布ではないのだろう。いや、どのみちわたしの目には水平線しか見えないのだし、ひょっとして世界はやっぱりお盆になっているのじゃないか。世界が球形だなんてやっぱり騙されているんじゃないか。この崖から海に飛び込んでずっとずっと泳ぐことができれば、もしかして世界の最果てに落ちることができるんじゃないか。だってこの髪を巻き上げる風は水平線にのしかかる雲から吹いてくる。

崖にそって張り巡らされたフェンスに寄りかかりながら埒もない空想にふける。薄着で凍える同行者がいなければ何時間だってそうしていただろう。世界に果てがないことに、どうしたって全く納得できない。こんなにも果てのように見えるのに。

仮にこの水平線の向こうに世界の果てがあったとして、その場合わたしはどうするのだろう。どんくさいわたしが、衆人環視の中で素早くフェンスを乗り越えることができるだろうか。この高い崖から飛び込むことができるだろうか。北極圏の凍りつくような海を数メートルだって泳ぎおおせるだろうか。いずれも否、どうしたってわたしが世界の果てに行き着くことなどできやしない。ならば世界に果てがあろうとなかろうと、この地球がどんな形状をしていようと、つまるところわたしの卑小な人生には何の影響もないということなのだ。わたしごとき矮小な存在が世界の秩序に触れることなど決してなく、ましてや「事象の地平面」のごとき絶対的な終焉に手を伸ばすなど、畢竟、妄想の域を出ないというわけだ。わたしは飛行機とバスを何時間もかけて乗り継いで、安くはない金を払って、寒風に吹かれながら己の存在のあまりに軽薄なことを改めて実感しにここまで来たというわけだ。

フェンスに預けていた体重を引き戻して、いよいよシバリングの止まらない同行者を連れて来た道を戻る。振り返ると、遠い崖に沿って雲が海に転がり落ちていくのが見えた。

 

翌日は嘘のように晴れた。気温も10℃は違う。村にひとつの教会を目指してゆるやかな坂を上がると少し汗ばむくらいだ。

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この村は海も空も作り物のように澄んでいて居心地が悪い。港のくせにやたらと透明度が高い水を眺めながら煙草を何本か吸った。きっと来てよかったのだと思う。あの時見た、鈍くたゆたう海と吊り天井のように分厚い雲、その隙間から漏れて淡く呼吸する光が最期に見る景色だったら、そうしたらあの光景がわたしの世界の果てになったのに、と未練がましく思わずにはいられないが。

大量の本を買ってしまった話

前回の更新からずいぶん日が開いてしまった。ブログというやつは長距離走や筋トレと同じで、一定のペースで続けられるうちはいいのだが、一度停止してしまうと再び始めるのがどんどん億劫になる。

 

何をしていたのかというと、おおむね仕事で疲弊していたというだけで、別段面白い理由ではない。

仕事で疲弊するのはいつものことというか、仕事というのはたいてい疲弊するものなので、仕事以外の何かで回復しなくてはならない。といったって座りっぱなしのデスクワーカーに深刻な肉体疲労があるわけではなし、手当てが必要なのは脳ミソと精神の方だ。

私は特に軟弱かつ怠惰に生まれついているので、精神がすぐにへばる。人付き合いがそもそも苦手なので、あっちに電話をかけ、こっちにメールを送り、続いて打ち合わせを、そういえば上司に承認もらわなきゃ、ああ資料の修正指示が、などという生活を三日も続ければ、もういやだこんなんやってられるかと精神が駄々をこねだす。駄々をこねるだけならいいのだが、結果、攻撃性が無駄に高まるのであまりよくない。

こうなると何とかして自分で自分の機嫌を取ってやらないといけないのだが、スイスに赴任してからというものの、ご機嫌取りがいささか難しくなった。

何故か。近所に美味い蕎麦を食わせる店がないのである。

これはわりと本気で言っているのだが、日本で暮らしていたときは徒歩圏内に美味い蕎麦屋があることが重要だった。というか、これまで住んできた物件はどれも、偶然にも近くに美味い蕎麦屋があったのである。美味い蕎麦屋は素敵だ。小料理をいくつか頼んで日本酒を呑みながら本を読み、締めに蕎麦を食うのだ。最高じゃないか。安っぽいスノビズムと言わば言え。試しにやってみたらこれが本当に楽しいのだから仕方がない。翌日が休みの日の夜に美味い蕎麦屋を一発決めれば自分の機嫌が取れる。数日くらいは保つ。これがパスタとワインではそうもいかない。そもそもヨーロッパ、ポーションがでかすぎるので、下手をすると前菜で満腹になりかねない。店員がいちいち声を掛けてくるのも気に入らない。ほっといてくれ。

 

そんな次第で、機嫌を取るにはひたすらに眠るという姑息的解決策に依存していた昨今だったが、ある日ふと、とあるサイトを開いてしまった。そう、hontoである。

私がいかにhontoを信頼しているかについては以下の記事をご参照いただきたい。

 

iwomfpp14.hatenablog.com

これがまずかった。

一方のタブでhontoを開き、もうひとつのタブでtwitterの「いいね」リストを開く。私の「いいね」はもっぱら、出版案内の備忘録として使用される。あとはリストをさかのぼりながら、手当たり次第にhontoで検索してカートに突っ込む。ひたすら突っ込む。今、何冊目をカートに入れたかなぞ数えるものか。ましてや価格など見もしない。

楽しかった。何しろ、自分で一度は「読んでみたい」と思った本ばかりなのだ。それはもう楽しい。しかも、自分が何をリストに突っ込んだかなど当然忘れているので、「このテーマでついに書籍が!」「この著者の新刊が!」と新鮮な驚きと喜びがある。フィーバー状態、ただしあふれているのは己の欲望だ。

たっぷり4か月分は遡っただろうか。やれやれ、どれくらいになったかなと、煙草に火をつけながらカートをチェックする。合計金額15万円なり。ちょっとよろしくない。さすがに15万円分も本を買うなど正気ではない。そんなに買ってどうするつもりなのだ。「えー、せっかく楽しかったのに」とまたぐずりだす意識をなだめすかしながら、いくらか削ろうと試みた。

がしかし、というか当然ながらというか、カートの中身が一向に減らないのだから参った。どうやら一種奇妙な自己防衛反応が働いたというか、せっかく自分の機嫌を取れているのにどうして楽しみを目減りさせなきゃいけないんだと、イドが全力で抵抗したらしい。やっとこさ数冊減らして、現在の合計金額は12万円。

12万円。よく考えてほしい。学生時代の1か月のバイト代、しかもわりとがっつりシフトに入った時くらいある。これが10か月続くと親の扶養から外されてしまうくらいの金額だ。12万円。近隣の国に週末旅行、上手くすれば2回行ける。12万円。まあわりとちゃんとしたエレキギターとかベースが中古で買える。特に目新しい機能が付いていない電子ピアノも買える。12万円。ヴィヴィアン・ウェストウッドでブラウスとカットソーとスカートが買える。12万円、東京の美味い蕎麦屋に12回くらい行ける。12万円。

 

気が付くと私はクレジットカードを取り出し、購入手続きを完了させていたのだった。私は本当にこういうところが愚かなのである。

 

発注から数日後、hontoから商品発送を知らせるメールが届いた。注文のタイミングではわからない送料(重量次第なので)も、併せて通知されている。なかなかの金額だ。送料表と照らし合わせてみるに、どうやら荷物は20kgあるらしい。

20kg。大きな米袋ふたつぶん。小学生低学年ひとりぶん。生ビールの樽ひとつぶんくらい。いいかげんくどいのでこれくらいにしておくが、そういうことだ。20kg。

たかだか自分ひとりの機嫌を取るためだけに12万円支払い、20kgの荷物を受け取ることになるのだ。本当に馬鹿なんじゃないだろうか。馬鹿というか、どこかのネジだかタガだかが外れているとしか思えない。

 

しかし良いのだ。これで良いのだ。たかだか自分ひとりの機嫌というが、私のように人付き合いが苦手で下手な人間はできるだけ自分ひとりで自分の機嫌を取る方法を可能な限り多く確保しておかないといけないのだ。周囲の他人様に機嫌を取ってもらおうなどというのはおこがましい、ましてや他人の機嫌を取るのがヘタクソな人間には特に。

これというのも、近所に美味い蕎麦屋がないからいけないのだ。そうだそうだ。仕方ないぞ。まあ、蕎麦屋があったって本は買うわけだが。

ルートヴィヒ2世最期の地・シュタルンベルク湖に行く

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今年のイースターミュンヘンに行ってきた。同僚たちに「お前はどうあっても西ヨーロッパには行かないつもりか」となじられながら、プライベートな旅行だけ数えても三度目のドイツだ。彼らの言う西ヨーロッパはつまりイタリアとフランスとスペインのことなのだが、このあたりの観光都市はどうしても優先順位が下になってしまうのだから仕方がない。

ミュンヘンだなんて何しに行くの」と聞かれるので、「日本から友人が遊びにきている」などと大変くだらない嘘をつく。日本からはるばるミュンヘンに遊びに来る友人などいるものか。本当の目的はダッハウ強制収容所と教会見物なのだが、「強制収容所と教会を見に行くんだ」などと馬鹿正直に話したところで、ランチが盛り下がるだけだ。同僚たちは私がビールを飲めないことも知らないので、「じゃあビールだな!」「そうそう、ヴルストとビールね!」で締めれば話題はすぐ別の人に移る。

かと思いきや、同僚のひとりが、ミュンヘンなら、と話をつなげた。

「あのお城とかいいわよ。えーと、ディズニーのロゴのモデルになったあのお城」

「ああ、ノイシュヴァンシュタイン城だね」

と拾ったのはケルン出身の別の同僚だ。彼がgoogleマップを開いて見せてくれる。ちょっと距離はあるけれど、ミュンヘンからなら日帰りのバスツアーがあるんじゃないかな。今の季節はすごく綺麗だよ。

 

なるほど、それは確かにいいかもしれない、と思った。ノイシュヴァンシュタインといえば言わずもがな、「バヴァリアの狂王」と渾名されたルートヴィヒ2世の傑作だ。

ルートヴィヒ2世のことは、鷗外の『うたかたの記』よりも映画『ルートヴィヒ』の形で頭に残っている。ヴィスコンティの有名作ではなくて、ザビン・タンブレアが主演した方だ。いい映画だった。何よりザビン・タンブレアがいい。あの腺病質な指の繊細さ、うつくしい瞳の動き、ルートヴィヒ2世は「狂った」のではなく、どこか違う世界からこんな汚い地上に引きずり出されてしまったのだと思わせる。あのうつくしき狂王に思いを馳せて、ゆかりの地に足を伸ばしてみるのもいいだろう。

とはいえ3泊4日の滞在、ダッハウに1日、ノイシュヴァンシュタインに1日だと、街歩きの時間が確保できるかどうか心配だ。5月のノルウェー行きに備えて、トレッキングシューズだのなんだのいくらか買い物もしたい。第一、イースターのノイシュヴァンシュタインなんて、城だの景観だのを楽しむどころではなさそうじゃないか。人の頭を見に行ったって仕方がない。何しろ人がたくさん集まっているのが嫌いなのだ。

さてどうするか、とルートヴィヒ2世Wikipediaを開いてみる。ノイシュヴァンシュタインの他にも彼による城がいくらか残っているようだが、いずれもミュンヘンから行きやすいとは言い難い。と、来歴の最後までたどり着いたところでいいことに気がついた。彼が最期を迎えたベルク湖がミュンヘンから近い。往復でせいぜい半日といったところだろう。ちょうどいい。

何の因果で人が死んだところばかり見に行くのか自分でもさっぱりわからないが、考えるまでもなく地球上のあらゆる場所で人は生まれ死んでいるのだ。何十年か何百年か遡れば、勤務しているオフィスの土地の上でも誰かが死んでいる。人が死んだところばかり見に行って何が悪い。おれたちは誰かが命を落としたその地点を踏みにじりながら生きているのだ。そしていつか踏みにじられる、自分がそうしてきたように。情緒も含蓄もクソもない言葉で納得しながら旅程を組んだ。

 

シュタルンベルク湖に行こう。問題は、どう行ったらいいかわからない、ということだけだ。地球の歩き方に載っているわけでもなし、日本語のページを検索してもそれらしき情報は出てこない。頼みの綱はgoogleの経路探索だけだ。滞在したホテルのフロントに聞いてみたが、スタッフもgoogleマップを使っていたので情報の深度は変わらない。

もし万が一、日本語でシュタルンベルク湖までの行き方を調べる人がいたら役に立ててほしい。ポイントはgoogleマップを信じないことだ。

 

目的地をルートヴィヒ2世記念碑 (Monument Ludwig von Bayern) に設定しよう。ベルク湖東岸の北寄りにある。詳しいことはわからないが、多分ここに沈んだのではないか。鷗外の『うたかたの記』だと、巨勢とマリイはレオニで車を降り、その近くのレストラン前から舟に乗って間もなくルートヴィヒ2世に遭遇しているので、きっとこの辺りだ。

結論から申し上げると、ミュンヘンからSバーン6番線というやつに乗って、Starnberg駅で降り、そこからベルク湖遊覧船に乗るのが良い。googleマップだとひとつ前のStarnberg Nord駅で降りてバスに乗れと言われるが、バスの本数が1時間に1本程度と少なく、バス停から湖までの道が高低差が大きいので、時間が合わない限りはお勧めしない。

Starnberg駅の目の前に遊覧船の発着場がある。遊覧船のコースには4種類あるが、「Grand Tour」か「Catsle Tour」に該当するものに乗ってLeoniで降りる。英語ページだが時刻表とツアーごとのコースは以下の通り。

Timetable: Timetable - Bavarian shipping at Lake Starnberger See, Ammersee, Tegernsee and Königssee

乗船代は船に乗ってから中のチケットオフィスで支払う。金額は忘れたが、LeoniからStarnbergまでの短距離で5ユーロくらいだった気がする。

Leoniで降りてからは徒歩だ。南下する形で住宅街を歩くと、ほどなくしてハイキングコースのような林道に行き当たる。あとは湖沿いに10分も歩けば、右手の湖に記念碑が、左手の丘の上に教会が見えるはずだ。

 

4月頭のドイツはバイエルンといえどもまだ肌寒く、春の一歩手前だ。林の木々も広葉樹はまだ葉をつけていない。晴れてはいるが硬質な空気に覆われている。

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気候は穏やかで、湖面にわずかなさざなみを立てるほどの風しか吹かない。お誂え向きの日だ。何にお誂え向きなのかと訊かれても困る、「狂王の沈んだ湖を酔狂で見に来るにはお誂え向き」としか言いようがない。まあ、これが雪だろうが雷雨だろうが雹だろうがそれはそれでお似合いなのだが(この前日、ダッハウでは霰が降っていた。そっちはあまりに出来過ぎだと思ったのだが)。

記念碑といっても大仰なものが建っているわけではない。あまりに線の細い十字架がひとつ。

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人が集まっているわけではない。ハイキング中の家族連れが休憩がてら、特に感慨深そうにするわけでもなく目の前の手すりに寄りかかっているくらいだ。ただ見通しがいい。ルートヴィヒ2世がどんな天気のどの時間に沈んだかはわからないが(『うたかたの記』だと夕刻、映画だと早朝だった気がする)少なくともこんな穏やかな午後ではなかったはずだ。こんなにも澄んだ空の青を映す湖面がビロードのように広がるのどかな陽光の下では、彼の繊細に過ぎる死もあまりに間抜けたものに堕してしまうだろうから。

 

ちなみにルートヴィヒ2世が滞在していた頃のベルク城は現存していない。今現在「Schloss Berg」でgoogleマップを検索すると同名のホテル(Leoniの船着場の目の前にある)が引っかかるが、何の関係もないようだ。

 

余談。ミュンヘン市内にあるフラウエン教会は、内装の美しさもさることながら、「悪魔の足跡」が残っているということで有名だ。悪魔が教会を壊そうとしたときについたとも、人の魂と引き換えに建築を手伝った悪魔が報酬を手に入れられず悔し紛れにつけたとも言われる。

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ということで自分の足(23.5cm)と比較してみたが、あれだな、悪魔、わりと標準的なサイズだし、靴履いてたんだな。という感じです。なんだこの余談。

指揮者がすげえと思った話

音楽はよく聴くほうだ。この「よく」というのは頻繁に、という意味であって、決して深い洞察を巡らせたり解釈を掘り下げたりするタイプではない。たぶん一番好きなのは無音で、気にくわない音を遮断するために耳に好もしい音を流しているだけなのかもしれない。自分では軽度の神経症の気があると見ている。

 

それはともかく、大学の頃だったか、同じ軽音楽サークルで似たようなジャンルの音楽を好んでいても意外とルーツってやつは違うもんだねと話したことがある。それで思いついた自分の説明は、「クラシック生まれビジュアル系育ち、ノイズ在住」というフレーズだった。「保健室登校歴のあるやつはだいたい友達」と続く、というのもどうでもいい話だが、振り返るといちおうクラシック生まれなのだと思う。幼稚園に入る頃にはだいたい第一次習い事ブームが起きる。よく遊ぶ友達が何か始めれば自分もやってみたいとねだるのが子供だ。それならと両親が私を連れて行ったのがスイミングとエレクトーンの体験教室で、どうやら生来の運動音痴だったらしい私が早々にスイミングへの興味を失うと、なし崩しにエレクトーンを始めることになった。初めの1曲は「おつかいありさん」。よく覚えているものだ。バイエルあたりでピアノ教室に移った。まだ若い先生で、私が3番弟子くらいだったのではないか。始めたはいいものの、終わらせ方がわからないのは私も両親も同じだったようで、気がついたら高校受験を考える年齢になっていた。

単に撤退のタイミングを見失って続けていたわりには真面目にピアノを弾いていた。真面目かつ怠惰、というのはピアノに限らず私を全面的に説明しうる言葉なのだが、とにかくコンクールの時期などはそれなりに時間も手間もかけた記憶がある。とはいえ、自分ではやれるだけやったはずのコンクールではまたしても次点で、しかもそれまで出場歴のなかった友人(彼女も私と同じタイミングでピアノを始めて、別の教室に通っていた)があっさり入賞してしまった。戸惑いながらも嬉しそうにステージに上がる友人を見て、ああこりゃダメだ、と思った。私にだって出来るような並の努力ではステージには上がれないのだ。やるだけやった、でもダメだった、ここが私の限界点なのだ。

先生は長年面倒を見てきた義理で「音大受験を考えるなら音楽科のある高校を受験してはどうか」と勧めてくれたが、私はピアノを辞めて普通科を受験することにした。中学の部活でやっていた吹奏楽も、高校で続けるつもりは毛頭なかった。音楽はもういい、と思った。誰かが作って、誰かが奏でる音楽を受け取るのがいい。手の届かないものを得ようとして必死で箱を積み上げてきたつもりでいたけれど、その頭上を難なく飛び越えていく人たちがいくらでもいる。彼らには彼らの努力とかつらさがあるのだろうけれど、私はそれ以前の問題だ。今風の言い回しで言えば心が折れたというやつだ。安い挫折。それきり、ピアノを弾くのもクラシックを聴くのも嫌になってしまった。手持ちのMD(そう、まだMD全盛期だったのだ)からクラシックものを削除して、ビジュアル系を上書きした。毎朝、頭を揺すりながら自転車を漕いで高校に通うようになった。

 

という、その辺に一山いくらで投げ売りしていそうなよくある挫折譚はどうでもいい。

時間薬とはよく言ったもので、あれだけこりごりだぜと思った割に、二十代前半を過ぎたあたりでじわじわとクラシックものが聴きたくなってきた。Youtubeグレン・グールドやらフランツ・シフラやらのピアノを聴いてみたり、オケのことは全くわからないながらもとにかく雄大で勇壮なやつが聴きたくてシベリウスやらショスタコーヴィチやらを手当たり次第に流してみたりした。前述した通り、外音を遮断するのに音楽を使うことが多いので、歌詞のない、あるいは歌が入っていても何言ってんだかさっぱりわからないクラシックは都合がいい。が、同じ作曲者の同じ曲を色々な楽団が演奏しているので、どれを聞いたらいいのかさっぱり見当もつかないところが素人の哀しいところで、そこをきちんと調べようと思わないのは私の怠惰なところだ。

とうだうだしながらヨーロッパに赴任して、ふと思い立ったのは「ちゃんとしたオーケストラってやつを聴きに行ってみようじゃないか」ということだった。ウィーンだろうがチェコだろうがベルリンだろうが、とにかく「なんとかフィル」ってやつがヨーロッパにはいくらでもあるのだ。いや、日本にも交響楽団があるのは存じ上げているが、とにかく今がチャンスだ。意外と感動とかしちゃうかもしれない。と、適当な売り出し中チケットを探して気がついた。なんと、ヨーロッパの夏はオーケストラのオフシーズンなのである。そんなの今まで誰も教えてくれなかったぞ。それらしいチケットがあると思ったら、それはチェコフィルのオケではなくチェコフィルに所属する弦楽器隊のアンサンブルだったりする。なぜ夏に全面的にオフになってしまうのかは今もってわからないが、そういうことならばどうしようもない。

秋になってワルシャワに旅行した折、やっとそれらしいチケットを手に入れることができた。ワルシャワフィルと、過去のショパンコンクール優勝者によるピアノコンツェルト。確かにうわすげえ、という感じだった。が、感動とか興奮とかは特になく、やばい、と思ったのは自分の感受性に対してだった。ブラヴォー、とか言いながら立ち上がる婦人紳士たちを眺めながら、どこがブラヴォーなのかよくわからなかったのだ。いやそりゃ上手いだろうよ、だってワルシャワフィルとショパンコンクール優勝経験者だぜ。ホールを出てホテルへの帰り道、ピンクと青の混ざった悪趣味なライトアップに浮かび上がる文化科学宮殿(いわゆる「スターリンの贈り物」)の尖塔を眺めながら、何かの凄さを感じたり、素晴らしさに気づくためには素養と訓練が必要なのだろうと噛み締めた。文化教養資本の圧倒的不足というやつだ。素養が足りないならば訓練を重ねるしかない。

次は年末にベルリンに行って、ベルリンフィルを聴く予定にしていた。演目はベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」。年末ならではの繁忙期をなんとか捌いた出発前日の夜、職場のクリスマスパーティに向かう路上で妙な寒気を覚えた。まあそりゃ寒いからね、とごまかしごまかしアペロを切り抜けたはいいものの、ディナー終盤、目の前に血も滴るような牛肉のステーキが出てきたところで自分が風邪をひいたことを認めざるを得なかった。ひとくちも食えない。付け合わせの人参をつつく私を見て、隣に座った岩のようなドイツ人同僚が「君はベジタリアンだったっけ?」などと尋ねてくる。いやそういうわけじゃないんだけどさ、これはなんというか、not for meってやつかな、などと覚えたての言い回しを吐く自分の口腔内が不味い。ディナーの後も延々続く談笑を切り上げて帰宅し、熱を測ると38度。今夜奇跡でも起こらなければ、明日のベルリン行き飛行機に乗れることはないだろう。私は泣く泣く全てを諦めた。

 

前振りが前振りとは思えないくらい長くなったが、何しろ思いついた順に書いているので仕方がない。ここまでで3,000字近く書いておいてなんだが、推敲する気もない。やっと本題だ。

年が明けてベルリンフィルのスケジュールを確認したら、なんとシベリウスショスタコーヴィチプロコフィエフをまとめて演るという日程があった。どれもこれも「壮大で勇壮でかっちょいい」、オケ的厨二ホイホイといっても過言ではないラインナップではないか。エレガント一辺倒の宮廷音楽をどうにも好きになれないお子ちゃまな私にはもってこいだ。迷わずチケットを押さえ、旅程を組んだ。この旅行の目玉はベルリンフィルザクセンハウゼンだ。最高にスノッブな組み合わせに我ながら満足を禁じ得ない。

 

油断すると震えのせいで昼に食べたカリーヴルストが戻ってきそうなくらい寒いベルリンの夜、私は生まれて初めてオーケストラの演奏に惹きこまれた。プロコフィエフの「交響曲第二番」。Wikipediaの説明くらいは事前に読んでいたが、まさにそれは「鉄と鋼でできた」交響曲だった。難解なフレーズが絡み合うが危なっかしさはどこにもない。心が鼓舞されるようなわかりやすい勇壮さでもない。緊迫感に支配された、急な斜面を駆け落ちるようなトランペットを追う弦楽隊のハーモニーは不思議なほど芳醇だ。それを低音が突き上げるように支える。抑制の効いた中に爆発しそうな力を秘めたフレーズが流れたと思ったら、ともすればヒステリックにも転んでしまうだろう高音が急き立てて目まぐるしく展開していく、なるほどこれはアヴァンギャルドだ。と納得している余裕など演奏中にはなく、かろうじて考えられたのは「これをまとめている指揮者はすごい人なのではないか」ということだけだった。

 

その指揮者が、ディマ・スロボデニュークだったのである。

ステージ上手側、ちょうどコントラバスの目の前あたりに座っていた私からは指揮者の顔など見えない。が、黒いパンツから深いネイビーのドレスシャツの裾を出した彼はずいぶん華奢に見えた。大の男に向かって華奢というのもなんだが、いかにも指揮者でございという感じではない。これだけ難解で複雑なオケを振っていながら、芝居掛かったところは一切なく、淡々としているようにすら見える。厳格にびしびし振るのではなく、空に舞う羽根をかき回すような柔らかくゆったりとした腕の動き。なんなんだこの指揮者は。なんなんだ、というか、指揮者に注目したのはこれが初めてなのでよくわからない。

何かとんでもなくすごいものを見た気がして、彼のことを調べてみた。日本語の情報がほとんどない。仕方ないので英語でいくらか見てみたら、まだ40前半だという。若いのではないか。いや、音楽なんて超早熟の天才がばかすか出てくる界隈だが、なんというか思ったより若かった。ロシア人で、スペインのガリシア交響楽団に次いでフィンランド・ラハティ交響楽団で首席指揮者。その日私が見たのがベルリンフィルでのデビューだったようだ。今改めて調べてみたら、幸いベルリンフィルデジタルアーカイブに日本語版の紹介記事が出ていた。

www.digitalconcerthall.com

ガリシア交響楽団もラハティ交響楽団も初めて聞いた名前だ。何しろ素養がないので仕方ない。で、もう少し調べてみるとガリシア交響楽団というのがなかなかサービスのいい楽団で、ディマ(姓が読みづらいので名で呼ぶが、どうも馴れ馴れしく聞こえるな)の振った演奏をいくつかYoutubeに上げてくれていた。

www.youtube.com

スペインでシベリウスかあ、と思いながら再生して、さらにもうひとつ、同じ楽団の違う指揮者の演目を聞いてみてわかった。指揮者というやつはすごい。指揮者いかんでオケの演奏は一気に変わってしまう。どっちがすごいとかいうのはよくわからないが、ディマの振ったオケは「ディマのオケ」になっている、気がする。つーか、フィンランドで指揮者修行をしたということも大きいのか、シベリウスが超いい。曲も違えば聞いている環境も違うので気のせいかもしれないが、ベルリンフィルだろうがガリシアフィルだろうが、「ディマの振るシベリウス」として同じキャラクターを持っているように感じるのだ。

 

それからいくらか指揮者を気にするようになって、いわゆる「クラヲタ」(クラシック・オタク)と呼ばれるような人たちのディスクレビューなどを読み漁った。どうやらこの道では、楽団より指揮者オリエンテッドに聴くのが主流らしい。今でこそなるほどなと思える、確かに指揮者は音楽を演出するのが仕事で、台の上に立ってしたり顔で棒を振り回すためにいるのではない。

それならちょうどいい、と思った。これからクラシック音楽、特にオケ系への理解を深めるにあたっては、一人か二人、軸にする指揮者を決めておくとよさそうだ。落語を聴き始めるのに、贔屓の噺家を見つけておくのと一緒だろう。ある指揮者を深追いすることで楽団や演目を理解し、並行して同じ楽団や演目を他の指揮者が振ったらどうなるか、という視点で横展開していく。なんということはない、読書や勉強と同じだ。

ということでこれからはディマ・スロボデニュークを追ってみることに決めた。調べてみたら今はなぜかニュージャージーにいて、5月下旬にライプツィヒでゲヴァントハウス管弦楽団を振るそうだ。それが終わったらヨーロッパは前述の通りオフに入ってしまうので、8月上旬にはボストンに飛ぶらしい。業務の都合で8月は日本に帰らないといけないので、目下のところは来月ライプツィヒに行くかどうかだ。その前の週はノルウェーエクス・マキナのロケ地に行くので、2週連続の旅行は厳しいが、これを逃すと次は秋まで待たなくてはならない。悩みどころだが、ライプツィヒ、行ってしまう気がしている。