指揮者がすげえと思った話

音楽はよく聴くほうだ。この「よく」というのは頻繁に、という意味であって、決して深い洞察を巡らせたり解釈を掘り下げたりするタイプではない。たぶん一番好きなのは無音で、気にくわない音を遮断するために耳に好もしい音を流しているだけなのかもしれない。自分では軽度の神経症の気があると見ている。

 

それはともかく、大学の頃だったか、同じ軽音楽サークルで似たようなジャンルの音楽を好んでいても意外とルーツってやつは違うもんだねと話したことがある。それで思いついた自分の説明は、「クラシック生まれビジュアル系育ち、ノイズ在住」というフレーズだった。「保健室登校歴のあるやつはだいたい友達」と続く、というのもどうでもいい話だが、振り返るといちおうクラシック生まれなのだと思う。幼稚園に入る頃にはだいたい第一次習い事ブームが起きる。よく遊ぶ友達が何か始めれば自分もやってみたいとねだるのが子供だ。それならと両親が私を連れて行ったのがスイミングとエレクトーンの体験教室で、どうやら生来の運動音痴だったらしい私が早々にスイミングへの興味を失うと、なし崩しにエレクトーンを始めることになった。初めの1曲は「おつかいありさん」。よく覚えているものだ。バイエルあたりでピアノ教室に移った。まだ若い先生で、私が3番弟子くらいだったのではないか。始めたはいいものの、終わらせ方がわからないのは私も両親も同じだったようで、気がついたら高校受験を考える年齢になっていた。

単に撤退のタイミングを見失って続けていたわりには真面目にピアノを弾いていた。真面目かつ怠惰、というのはピアノに限らず私を全面的に説明しうる言葉なのだが、とにかくコンクールの時期などはそれなりに時間も手間もかけた記憶がある。とはいえ、自分ではやれるだけやったはずのコンクールではまたしても次点で、しかもそれまで出場歴のなかった友人(彼女も私と同じタイミングでピアノを始めて、別の教室に通っていた)があっさり入賞してしまった。戸惑いながらも嬉しそうにステージに上がる友人を見て、ああこりゃダメだ、と思った。私にだって出来るような並の努力ではステージには上がれないのだ。やるだけやった、でもダメだった、ここが私の限界点なのだ。

先生は長年面倒を見てきた義理で「音大受験を考えるなら音楽科のある高校を受験してはどうか」と勧めてくれたが、私はピアノを辞めて普通科を受験することにした。中学の部活でやっていた吹奏楽も、高校で続けるつもりは毛頭なかった。音楽はもういい、と思った。誰かが作って、誰かが奏でる音楽を受け取るのがいい。手の届かないものを得ようとして必死で箱を積み上げてきたつもりでいたけれど、その頭上を難なく飛び越えていく人たちがいくらでもいる。彼らには彼らの努力とかつらさがあるのだろうけれど、私はそれ以前の問題だ。今風の言い回しで言えば心が折れたというやつだ。安い挫折。それきり、ピアノを弾くのもクラシックを聴くのも嫌になってしまった。手持ちのMD(そう、まだMD全盛期だったのだ)からクラシックものを削除して、ビジュアル系を上書きした。毎朝、頭を揺すりながら自転車を漕いで高校に通うようになった。

 

という、その辺に一山いくらで投げ売りしていそうなよくある挫折譚はどうでもいい。

時間薬とはよく言ったもので、あれだけこりごりだぜと思った割に、二十代前半を過ぎたあたりでじわじわとクラシックものが聴きたくなってきた。Youtubeグレン・グールドやらフランツ・シフラやらのピアノを聴いてみたり、オケのことは全くわからないながらもとにかく雄大で勇壮なやつが聴きたくてシベリウスやらショスタコーヴィチやらを手当たり次第に流してみたりした。前述した通り、外音を遮断するのに音楽を使うことが多いので、歌詞のない、あるいは歌が入っていても何言ってんだかさっぱりわからないクラシックは都合がいい。が、同じ作曲者の同じ曲を色々な楽団が演奏しているので、どれを聞いたらいいのかさっぱり見当もつかないところが素人の哀しいところで、そこをきちんと調べようと思わないのは私の怠惰なところだ。

とうだうだしながらヨーロッパに赴任して、ふと思い立ったのは「ちゃんとしたオーケストラってやつを聴きに行ってみようじゃないか」ということだった。ウィーンだろうがチェコだろうがベルリンだろうが、とにかく「なんとかフィル」ってやつがヨーロッパにはいくらでもあるのだ。いや、日本にも交響楽団があるのは存じ上げているが、とにかく今がチャンスだ。意外と感動とかしちゃうかもしれない。と、適当な売り出し中チケットを探して気がついた。なんと、ヨーロッパの夏はオーケストラのオフシーズンなのである。そんなの今まで誰も教えてくれなかったぞ。それらしいチケットがあると思ったら、それはチェコフィルのオケではなくチェコフィルに所属する弦楽器隊のアンサンブルだったりする。なぜ夏に全面的にオフになってしまうのかは今もってわからないが、そういうことならばどうしようもない。

秋になってワルシャワに旅行した折、やっとそれらしいチケットを手に入れることができた。ワルシャワフィルと、過去のショパンコンクール優勝者によるピアノコンツェルト。確かにうわすげえ、という感じだった。が、感動とか興奮とかは特になく、やばい、と思ったのは自分の感受性に対してだった。ブラヴォー、とか言いながら立ち上がる婦人紳士たちを眺めながら、どこがブラヴォーなのかよくわからなかったのだ。いやそりゃ上手いだろうよ、だってワルシャワフィルとショパンコンクール優勝経験者だぜ。ホールを出てホテルへの帰り道、ピンクと青の混ざった悪趣味なライトアップに浮かび上がる文化科学宮殿(いわゆる「スターリンの贈り物」)の尖塔を眺めながら、何かの凄さを感じたり、素晴らしさに気づくためには素養と訓練が必要なのだろうと噛み締めた。文化教養資本の圧倒的不足というやつだ。素養が足りないならば訓練を重ねるしかない。

次は年末にベルリンに行って、ベルリンフィルを聴く予定にしていた。演目はベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」。年末ならではの繁忙期をなんとか捌いた出発前日の夜、職場のクリスマスパーティに向かう路上で妙な寒気を覚えた。まあそりゃ寒いからね、とごまかしごまかしアペロを切り抜けたはいいものの、ディナー終盤、目の前に血も滴るような牛肉のステーキが出てきたところで自分が風邪をひいたことを認めざるを得なかった。ひとくちも食えない。付け合わせの人参をつつく私を見て、隣に座った岩のようなドイツ人同僚が「君はベジタリアンだったっけ?」などと尋ねてくる。いやそういうわけじゃないんだけどさ、これはなんというか、not for meってやつかな、などと覚えたての言い回しを吐く自分の口腔内が不味い。ディナーの後も延々続く談笑を切り上げて帰宅し、熱を測ると38度。今夜奇跡でも起こらなければ、明日のベルリン行き飛行機に乗れることはないだろう。私は泣く泣く全てを諦めた。

 

前振りが前振りとは思えないくらい長くなったが、何しろ思いついた順に書いているので仕方がない。ここまでで3,000字近く書いておいてなんだが、推敲する気もない。やっと本題だ。

年が明けてベルリンフィルのスケジュールを確認したら、なんとシベリウスショスタコーヴィチプロコフィエフをまとめて演るという日程があった。どれもこれも「壮大で勇壮でかっちょいい」、オケ的厨二ホイホイといっても過言ではないラインナップではないか。エレガント一辺倒の宮廷音楽をどうにも好きになれないお子ちゃまな私にはもってこいだ。迷わずチケットを押さえ、旅程を組んだ。この旅行の目玉はベルリンフィルザクセンハウゼンだ。最高にスノッブな組み合わせに我ながら満足を禁じ得ない。

 

油断すると震えのせいで昼に食べたカリーヴルストが戻ってきそうなくらい寒いベルリンの夜、私は生まれて初めてオーケストラの演奏に惹きこまれた。プロコフィエフの「交響曲第二番」。Wikipediaの説明くらいは事前に読んでいたが、まさにそれは「鉄と鋼でできた」交響曲だった。難解なフレーズが絡み合うが危なっかしさはどこにもない。心が鼓舞されるようなわかりやすい勇壮さでもない。緊迫感に支配された、急な斜面を駆け落ちるようなトランペットを追う弦楽隊のハーモニーは不思議なほど芳醇だ。それを低音が突き上げるように支える。抑制の効いた中に爆発しそうな力を秘めたフレーズが流れたと思ったら、ともすればヒステリックにも転んでしまうだろう高音が急き立てて目まぐるしく展開していく、なるほどこれはアヴァンギャルドだ。と納得している余裕など演奏中にはなく、かろうじて考えられたのは「これをまとめている指揮者はすごい人なのではないか」ということだけだった。

 

その指揮者が、ディマ・スロボデニュークだったのである。

ステージ上手側、ちょうどコントラバスの目の前あたりに座っていた私からは指揮者の顔など見えない。が、黒いパンツから深いネイビーのドレスシャツの裾を出した彼はずいぶん華奢に見えた。大の男に向かって華奢というのもなんだが、いかにも指揮者でございという感じではない。これだけ難解で複雑なオケを振っていながら、芝居掛かったところは一切なく、淡々としているようにすら見える。厳格にびしびし振るのではなく、空に舞う羽根をかき回すような柔らかくゆったりとした腕の動き。なんなんだこの指揮者は。なんなんだ、というか、指揮者に注目したのはこれが初めてなのでよくわからない。

何かとんでもなくすごいものを見た気がして、彼のことを調べてみた。日本語の情報がほとんどない。仕方ないので英語でいくらか見てみたら、まだ40前半だという。若いのではないか。いや、音楽なんて超早熟の天才がばかすか出てくる界隈だが、なんというか思ったより若かった。ロシア人で、スペインのガリシア交響楽団に次いでフィンランド・ラハティ交響楽団で首席指揮者。その日私が見たのがベルリンフィルでのデビューだったようだ。今改めて調べてみたら、幸いベルリンフィルデジタルアーカイブに日本語版の紹介記事が出ていた。

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ガリシア交響楽団もラハティ交響楽団も初めて聞いた名前だ。何しろ素養がないので仕方ない。で、もう少し調べてみるとガリシア交響楽団というのがなかなかサービスのいい楽団で、ディマ(姓が読みづらいので名で呼ぶが、どうも馴れ馴れしく聞こえるな)の振った演奏をいくつかYoutubeに上げてくれていた。

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スペインでシベリウスかあ、と思いながら再生して、さらにもうひとつ、同じ楽団の違う指揮者の演目を聞いてみてわかった。指揮者というやつはすごい。指揮者いかんでオケの演奏は一気に変わってしまう。どっちがすごいとかいうのはよくわからないが、ディマの振ったオケは「ディマのオケ」になっている、気がする。つーか、フィンランドで指揮者修行をしたということも大きいのか、シベリウスが超いい。曲も違えば聞いている環境も違うので気のせいかもしれないが、ベルリンフィルだろうがガリシアフィルだろうが、「ディマの振るシベリウス」として同じキャラクターを持っているように感じるのだ。

 

それからいくらか指揮者を気にするようになって、いわゆる「クラヲタ」(クラシック・オタク)と呼ばれるような人たちのディスクレビューなどを読み漁った。どうやらこの道では、楽団より指揮者オリエンテッドに聴くのが主流らしい。今でこそなるほどなと思える、確かに指揮者は音楽を演出するのが仕事で、台の上に立ってしたり顔で棒を振り回すためにいるのではない。

それならちょうどいい、と思った。これからクラシック音楽、特にオケ系への理解を深めるにあたっては、一人か二人、軸にする指揮者を決めておくとよさそうだ。落語を聴き始めるのに、贔屓の噺家を見つけておくのと一緒だろう。ある指揮者を深追いすることで楽団や演目を理解し、並行して同じ楽団や演目を他の指揮者が振ったらどうなるか、という視点で横展開していく。なんということはない、読書や勉強と同じだ。

ということでこれからはディマ・スロボデニュークを追ってみることに決めた。調べてみたら今はなぜかニュージャージーにいて、5月下旬にライプツィヒでゲヴァントハウス管弦楽団を振るそうだ。それが終わったらヨーロッパは前述の通りオフに入ってしまうので、8月上旬にはボストンに飛ぶらしい。業務の都合で8月は日本に帰らないといけないので、目下のところは来月ライプツィヒに行くかどうかだ。その前の週はノルウェーエクス・マキナのロケ地に行くので、2週連続の旅行は厳しいが、これを逃すと次は秋まで待たなくてはならない。悩みどころだが、ライプツィヒ、行ってしまう気がしている。