世界の果てに似たものを見る(ノールカップへの行き方)

f:id:iwomfpp14:20180719221921j:image

世界が巨大な亀の甲羅の上で数匹の象に支えられたお盆のようなものだったらよかったのにと思うことがある。

限られた地上面積をはいずり回るだけの卑小ないきものにとって、地球がお盆だろうが球体だろうが洋ナシ型だろうが日々の生活認識は変わらないわけだが、お盆コンセプトの優れているのは世界に果てがあるところだ。世界の果て、その水平線を超えたらそこには何もない。

「何もない」状態に常に惹かれる。あらゆる存在や思考の拒絶、強靭な否定、絶対の静寂。宇宙空間がダークマターとかいうやくたいもない物質らしきもので満たされていると聞いたときは心底落胆したものだ。死後の世界などあってたまるものか。「何もない」空虚にダイブして物質としても概念としてもきれいさっぱり消滅したい。脆く崩れる白茶けた骨すら残さずに。無に対するロジックなき憧れに脳みそをべったり覆われたまま三十路にたどり着いてしまった。

とはいえ、どうやら世界はお盆ではないようなので、世界の果てを見ることも、ましてや飛び込んでみることもできないらしい。誠に遺憾だが世界の秩序がそうだというのならいかんともしがたい。であるならば、せめて「それっぽいもの」を見に行くことはできないだろうか。

できるのである。ノルウェーの北端はノールカップ、直訳すると"North Cape"、北極点まで2,100㎞あまり。ヨーロッパの最北端といわれるが、実際はもう数キロ北に本当の最北端があるらしい。まあ、それはいい。ほぼ最北端。別に北にこだわる必要もないのだが、どうも南端よりも北端のほうが「世界の果てっぽさ」が強い気がするので北に行く。アフリカとか南米は遠いし。

 

世界の果てっぽいポイントまでどう移動するか。

今回はとにかくノルウェーの大きさに泣かされた。ひたすら移動で1日を潰す。なんというか、東海道新幹線に乗る人が静岡県に対して抱くいらだちというか、「ええかげんにせえよ」という、えもいわれぬ感情に似ているかもしれない。旅程は以下の通りだ。

ジュネーブ → ブリュッセル → オスロ → アルタ → 一泊 → ホニングスヴォーグ → ノールカップ

ジュネーブからアルタまでは飛行機を乗り継ぎ、アルタからホニングスヴォーグ、ノールカップはバスで移動する。ジュネーブからオスロの直行便が押さえられればよかったのだが、時間が合わずに過去最大回数の乗り換えと相成った。なお、ホニングスヴォーグにも空港(というか飛行場というか)はあり、トロムソから飛んでいるようなのだがこちらもうまくスケジュールが組めなかった。

 

さて、アルタに着いたとしよう。いきなり蛇足から入るが、7月のノルウェー北部は見事に白夜の世界だ。日没、午前0時。日の出、午前1時。ホテルのカーテンを閉めてベッドに横たわると、カーテンの隙間から光が差し込み、学生の頃、徹夜で飲んでぐったりと就寝した午前7時を思い出す光景だ。

アルタからホニングスヴォーグまでは長距離バスで4時間ほどかかる。本数はさほど多くないので注意されたい。

http://www.nordkapp.no/en/transportation/bus-to-alta

ノルウェーでは一般的な記述法のようだが、曜日を数字に置き換えた時刻表が各地で見られる。上記時刻表では、9時アルタ発の便は日曜しか運航しておらず、11時45分発の便は土日は運航していない。

このバスはアルタ市内の観光案内所前が始発だ。その後、アルタ空港までの停留所を経由してSkaidiとOlderfjordで各10分程度の休憩を取りながらホニングスヴォーグまで直行する。

アルタで一泊するなら観光案内所から、空港に着いてそのまま移動したいなら空港から乗るのがいいだろう。料金は乗車時に運転手に対して支払う。「ホニングスヴォーグまで大人いちまい」と言えばいい。クレジットカードを使用できる。

www.google.ch

何しろ4時間の長丁場なので、あらかじめおやつと飲み物は買っていったほうがいい。SkaidiとOlderfjordにも売店はあるが、お土産物屋に毛が生えた程度のものなので期待しないこと。アルタ空港は発着ロビーにしか売店がないので、着陸後すぐにバスに乗るなら税関ゲートを通過する前に調達しなくてはならない。観光案内所の目の前にはショッピングセンターがあるので利用しよう。

バスはノルウェーの原野を突っ切ってひた走る。国土、特に平地の面積が限られている日本ではあまりお目にかかれないくらい「何にも使っていない」土地が広がっている。途中、数キロにわたってひたすらまっすぐな道を走るので、前方座席に座ると気持ちがいいかもしれない。空模様によってはオートレフケラトメーター(眼科で見せられる、まっすぐな道の向こうに気球が浮いているアレ)のような光景を拝めるだろう。だから何なんだという話ではあるのだが。そして視力のいい人間には通じないネタだが。

portal.nifty.com

あの画像はアリゾナの道路らしい。

 

閑話休題

黙って乗っていればホニングスヴォーグの観光案内所に到着する。乗車率が低ければ運転手もわりとフレキシブルなので、宿泊するホテルを通りかかるようなら途中で降ろしてもらうことも可能だ。

いざノールカップ、ということで観光案内所に聞いてみよう。いつバスが出発するか教えてくれる。併せてこちらのページも参照されたい。

Visit Nordkapp |To do, Nordkapp, Transport

ここにある通り、単なる往復のバスから現地でのツアーやアクティビティ込みのものまでいくつかのプランがある。お好みに合わせて選ばれるとよいが、私は現地では好きに過ごしたかったので往復便のみのNorth Cape Expressにした。片道30分ほど、現地には2時間ほど滞在できる。

 Visit Nordkapp |The North Cape Express, Bus, Transport

観光案内所のカウンターで支払うと、チケットというかレシートを発行してくれる。バスは観光案内所の真横、隣接するホテルとの間から出発するので、運転手にレシートを見せればOKだ。バスは荒野を走る。たまにトナカイの群れが草を食んでいるのが見えるくらいだ。

 

天候がさほどよくなかったのもあって、確かにその光景は世界の果てに似ていた。似ていたといったって実際に世界の果てを見たことがあるわけでなし(そして二度と見られないまま取るに足らない死を迎えるのだろう)、せいぜいが想像していた世界の果てのいくつかのパターンの、そのうちのひとつに似ているように見えたというだけだ。

f:id:iwomfpp14:20180719221901j:image

低く垂れこめる雲が霧となって辺りを煙らせている。遠くの山際からかすかに陽光の気配が覗く。風がひどく強い。気温は6℃、足元を駆けていく子供が7月だというのに手袋をしているのが見えた。

f:id:iwomfpp14:20180719222707j:image

海の上を雲が渡る。そのずっと先、水平線の向こうにはきっと北極がある。北極をさらに通り越したその向こうはカナダかアラスカあたりだろうか。世界に果てはない、こんなにも果てがあるように見えるのに、世界が果てることなどない。どうしてあの水平線の先が巨大な瀑布ではないのだろう。いや、どのみちわたしの目には水平線しか見えないのだし、ひょっとして世界はやっぱりお盆になっているのじゃないか。世界が球形だなんてやっぱり騙されているんじゃないか。この崖から海に飛び込んでずっとずっと泳ぐことができれば、もしかして世界の最果てに落ちることができるんじゃないか。だってこの髪を巻き上げる風は水平線にのしかかる雲から吹いてくる。

崖にそって張り巡らされたフェンスに寄りかかりながら埒もない空想にふける。薄着で凍える同行者がいなければ何時間だってそうしていただろう。世界に果てがないことに、どうしたって全く納得できない。こんなにも果てのように見えるのに。

仮にこの水平線の向こうに世界の果てがあったとして、その場合わたしはどうするのだろう。どんくさいわたしが、衆人環視の中で素早くフェンスを乗り越えることができるだろうか。この高い崖から飛び込むことができるだろうか。北極圏の凍りつくような海を数メートルだって泳ぎおおせるだろうか。いずれも否、どうしたってわたしが世界の果てに行き着くことなどできやしない。ならば世界に果てがあろうとなかろうと、この地球がどんな形状をしていようと、つまるところわたしの卑小な人生には何の影響もないということなのだ。わたしごとき矮小な存在が世界の秩序に触れることなど決してなく、ましてや「事象の地平面」のごとき絶対的な終焉に手を伸ばすなど、畢竟、妄想の域を出ないというわけだ。わたしは飛行機とバスを何時間もかけて乗り継いで、安くはない金を払って、寒風に吹かれながら己の存在のあまりに軽薄なことを改めて実感しにここまで来たというわけだ。

フェンスに預けていた体重を引き戻して、いよいよシバリングの止まらない同行者を連れて来た道を戻る。振り返ると、遠い崖に沿って雲が海に転がり落ちていくのが見えた。

 

翌日は嘘のように晴れた。気温も10℃は違う。村にひとつの教会を目指してゆるやかな坂を上がると少し汗ばむくらいだ。

f:id:iwomfpp14:20180721094113j:image

この村は海も空も作り物のように澄んでいて居心地が悪い。港のくせにやたらと透明度が高い水を眺めながら煙草を何本か吸った。きっと来てよかったのだと思う。あの時見た、鈍くたゆたう海と吊り天井のように分厚い雲、その隙間から漏れて淡く呼吸する光が最期に見る景色だったら、そうしたらあの光景がわたしの世界の果てになったのに、と未練がましく思わずにはいられないが。