ルートヴィヒ2世最期の湖・シュタルンベルク湖に行く

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今年のイースターミュンヘンに行ってきた。同僚たちに「お前はどうあっても西ヨーロッパには行かないつもりか」となじられながら、プライベートな旅行だけ数えても三度目のドイツだ。彼らの言う西ヨーロッパはつまりイタリアとフランスとスペインのことなのだが、このあたりの観光都市はどうしても優先順位が下になってしまうのだから仕方がない。

ミュンヘンだなんて何しに行くの」と聞かれるので、「日本から友人が遊びにきている」などと大変くだらない嘘をつく。日本からはるばるミュンヘンに遊びに来る友人などいるものか。本当の目的はダッハウ強制収容所と教会見物なのだが、「強制収容所と教会を見に行くんだ」などと馬鹿正直に話したところで、ランチが盛り下がるだけだ。同僚たちは私がビールを飲めないことも知らないので、「じゃあビールだな!」「そうそう、ヴルストとビールね!」で締めれば話題はすぐ別の人に移る。

かと思いきや、同僚のひとりが、ミュンヘンなら、と話をつなげた。

「あのお城とかいいわよ。えーと、ディズニーのロゴのモデルになったあのお城」

「ああ、ノイシュヴァンシュタイン城だね」

と拾ったのはケルン出身の別の同僚だ。彼がgoogleマップを開いて見せてくれる。ちょっと距離はあるけれど、ミュンヘンからなら日帰りのバスツアーがあるんじゃないかな。今の季節はすごく綺麗だよ。

 

なるほど、それは確かにいいかもしれない、と思った。ノイシュヴァンシュタインといえば言わずもがな、「バヴァリアの狂王」と渾名されたルートヴィヒ2世の傑作だ。

ルートヴィヒ2世のことは、鷗外の『うたかたの記』よりも映画『ルートヴィヒ』の形で頭に残っている。ヴィスコンティの有名作ではなくて、ザビン・タンブレアが主演した方だ。いい映画だった。何よりザビン・タンブレアがいい。あの腺病質な指の繊細さ、うつくしい瞳の動き、ルートヴィヒ2世は「狂った」のではなく、どこか違う世界からこんな汚い地上に引きずり出されてしまったのだと思わせる。あのうつくしき狂王に思いを馳せて、ゆかりの地に足を伸ばしてみるのもいいだろう。

とはいえ3泊4日の滞在、ダッハウに1日、ノイシュヴァンシュタインに1日だと、街歩きの時間が確保できるかどうか心配だ。5月のノルウェー行きに備えて、トレッキングシューズだのなんだのいくらか買い物もしたい。第一、イースターのノイシュヴァンシュタインなんて、城だの景観だのを楽しむどころではなさそうじゃないか。人の頭を見に行ったって仕方がない。何しろ人がたくさん集まっているのが嫌いなのだ。

さてどうするか、とルートヴィヒ2世Wikipediaを開いてみる。ノイシュヴァンシュタインの他にも彼による城がいくらか残っているようだが、いずれもミュンヘンから行きやすいとは言い難い。と、来歴の最後までたどり着いたところでいいことに気がついた。彼が最期を迎えたベルク湖がミュンヘンから近い。往復でせいぜい半日といったところだろう。ちょうどいい。

何の因果で人が死んだところばかり見に行くのか自分でもさっぱりわからないが、考えるまでもなく地球上のあらゆる場所で人は生まれ死んでいるのだ。何十年か何百年か遡れば、勤務しているオフィスの土地の上でも誰かが死んでいる。人が死んだところばかり見に行って何が悪い。おれたちは誰かが命を落としたその地点を踏みにじりながら生きているのだ。そしていつか踏みにじられる、自分がそうしてきたように。情緒も含蓄もクソもない言葉で納得しながら旅程を組んだ。

 

シュタルンベルク湖に行こう。問題は、どう行ったらいいかわからない、ということだけだ。地球の歩き方に載っているわけでもなし、日本語のページを検索してもそれらしき情報は出てこない。頼みの綱はgoogleの経路探索だけだ。滞在したホテルのフロントに聞いてみたが、スタッフもgoogleマップを使っていたので情報の深度は変わらない。

もし万が一、日本語でシュタルンベルク湖までの行き方を調べる人がいたら役に立ててほしい。ポイントはgoogleマップを信じないことだ。

 

目的地をルートヴィヒ2世記念碑 (Monument Ludwig von Bayern) に設定しよう。ベルク湖東岸の北寄りにある。詳しいことはわからないが、多分ここに沈んだのではないか。鷗外の『うたかたの記』だと、巨勢とマリイはレオニで車を降り、その近くのレストラン前から舟に乗って間もなくルートヴィヒ2世に遭遇しているので、きっとこの辺りだ。

結論から申し上げると、ミュンヘンからSバーン6番線というやつに乗って、Starnberg駅で降り、そこからベルク湖遊覧船に乗るのが良い。googleマップだとひとつ前のStarnberg Nord駅で降りてバスに乗れと言われるが、バスの本数が1時間に1本程度と少なく、バス停から湖までの道が高低差が大きいので、時間が合わない限りはお勧めしない。

Starnberg駅の目の前に遊覧船の発着場がある。遊覧船のコースには4種類あるが、「Grand Tour」か「Catsle Tour」に該当するものに乗ってLeoniで降りる。英語ページだが時刻表とツアーごとのコースは以下の通り。

Timetable: Timetable - Bavarian shipping at Lake Starnberger See, Ammersee, Tegernsee and Königssee

乗船代は船に乗ってから中のチケットオフィスで支払う。金額は忘れたが、LeoniからStarnbergまでの短距離で5ユーロくらいだった気がする。

Leoniで降りてからは徒歩だ。南下する形で住宅街を歩くと、ほどなくしてハイキングコースのような林道に行き当たる。あとは湖沿いに10分も歩けば、右手の湖に記念碑が、左手の丘の上に教会が見えるはずだ。

 

4月頭のドイツはバイエルンといえどもまだ肌寒く、春の一歩手前だ。林の木々も広葉樹はまだ葉をつけていない。晴れてはいるが硬質な空気に覆われている。

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気候は穏やかで、湖面にわずかなさざなみを立てるほどの風しか吹かない。お誂え向きの日だ。何にお誂え向きなのかと訊かれても困る、「狂王の沈んだ湖を酔狂で見に来るにはお誂え向き」としか言いようがない。まあ、これが雪だろうが雷雨だろうが雹だろうがそれはそれでお似合いなのだが(この前日、ダッハウでは霰が降っていた。そっちはあまりに出来過ぎだと思ったのだが)。

記念碑といっても大仰なものが建っているわけではない。あまりに線の細い十字架がひとつ。

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人が集まっているわけではない。ハイキング中の家族連れが休憩がてら、特に感慨深そうにするわけでもなく目の前の手すりに寄りかかっているくらいだ。ただ見通しがいい。ルートヴィヒ2世がどんな天気のどの時間に沈んだかはわからないが(『うたかたの記』だと夕刻、映画だと早朝だった気がする)少なくともこんな穏やかな午後ではなかったはずだ。こんなにも澄んだ空の青を映す湖面がビロードのように広がるのどかな陽光の下では、彼の繊細に過ぎる死もあまりに間抜けたものに堕してしまうだろうから。

 

ちなみにルートヴィヒ2世が滞在していた頃のベルク城は現存していない。今現在「Schloss Berg」でgoogleマップを検索すると同名のホテル(Leoniの船着場の目の前にある)が引っかかるが、何の関係もないようだ。

 

余談。ミュンヘン市内にあるフラウエン教会は、内装の美しさもさることながら、「悪魔の足跡」が残っているということで有名だ。悪魔が教会を壊そうとしたときについたとも、人の魂と引き換えに建築を手伝った悪魔が報酬を手に入れられず悔し紛れにつけたとも言われる。

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ということで自分の足(23.5cm)と比較してみたが、あれだな、悪魔、わりと標準的なサイズだし、靴履いてたんだな。という感じです。なんだこの余談。

指揮者がすげえと思った話

音楽はよく聴くほうだ。この「よく」というのは頻繁に、という意味であって、決して深い洞察を巡らせたり解釈を掘り下げたりするタイプではない。たぶん一番好きなのは無音で、気にくわない音を遮断するために耳に好もしい音を流しているだけなのかもしれない。自分では軽度の神経症の気があると見ている。

 

それはともかく、大学の頃だったか、同じ軽音楽サークルで似たようなジャンルの音楽を好んでいても意外とルーツってやつは違うもんだねと話したことがある。それで思いついた自分の説明は、「クラシック生まれビジュアル系育ち、ノイズ在住」というフレーズだった。「保健室登校歴のあるやつはだいたい友達」と続く、というのもどうでもいい話だが、振り返るといちおうクラシック生まれなのだと思う。幼稚園に入る頃にはだいたい第一次習い事ブームが起きる。よく遊ぶ友達が何か始めれば自分もやってみたいとねだるのが子供だ。それならと両親が私を連れて行ったのがスイミングとエレクトーンの体験教室で、どうやら生来の運動音痴だったらしい私が早々にスイミングへの興味を失うと、なし崩しにエレクトーンを始めることになった。初めの1曲は「おつかいありさん」。よく覚えているものだ。バイエルあたりでピアノ教室に移った。まだ若い先生で、私が3番弟子くらいだったのではないか。始めたはいいものの、終わらせ方がわからないのは私も両親も同じだったようで、気がついたら高校受験を考える年齢になっていた。

単に撤退のタイミングを見失って続けていたわりには真面目にピアノを弾いていた。真面目かつ怠惰、というのはピアノに限らず私を全面的に説明しうる言葉なのだが、とにかくコンクールの時期などはそれなりに時間も手間もかけた記憶がある。とはいえ、自分ではやれるだけやったはずのコンクールではまたしても次点で、しかもそれまで出場歴のなかった友人(彼女も私と同じタイミングでピアノを始めて、別の教室に通っていた)があっさり入賞してしまった。戸惑いながらも嬉しそうにステージに上がる友人を見て、ああこりゃダメだ、と思った。私にだって出来るような並の努力ではステージには上がれないのだ。やるだけやった、でもダメだった、ここが私の限界点なのだ。

先生は長年面倒を見てきた義理で「音大受験を考えるなら音楽科のある高校を受験してはどうか」と勧めてくれたが、私はピアノを辞めて普通科を受験することにした。中学の部活でやっていた吹奏楽も、高校で続けるつもりは毛頭なかった。音楽はもういい、と思った。誰かが作って、誰かが奏でる音楽を受け取るのがいい。手の届かないものを得ようとして必死で箱を積み上げてきたつもりでいたけれど、その頭上を難なく飛び越えていく人たちがいくらでもいる。彼らには彼らの努力とかつらさがあるのだろうけれど、私はそれ以前の問題だ。今風の言い回しで言えば心が折れたというやつだ。安い挫折。それきり、ピアノを弾くのもクラシックを聴くのも嫌になってしまった。手持ちのMD(そう、まだMD全盛期だったのだ)からクラシックものを削除して、ビジュアル系を上書きした。毎朝、頭を揺すりながら自転車を漕いで高校に通うようになった。

 

という、その辺に一山いくらで投げ売りしていそうなよくある挫折譚はどうでもいい。

時間薬とはよく言ったもので、あれだけこりごりだぜと思った割に、二十代前半を過ぎたあたりでじわじわとクラシックものが聴きたくなってきた。Youtubeグレン・グールドやらフランツ・シフラやらのピアノを聴いてみたり、オケのことは全くわからないながらもとにかく雄大で勇壮なやつが聴きたくてシベリウスやらショスタコーヴィチやらを手当たり次第に流してみたりした。前述した通り、外音を遮断するのに音楽を使うことが多いので、歌詞のない、あるいは歌が入っていても何言ってんだかさっぱりわからないクラシックは都合がいい。が、同じ作曲者の同じ曲を色々な楽団が演奏しているので、どれを聞いたらいいのかさっぱり見当もつかないところが素人の哀しいところで、そこをきちんと調べようと思わないのは私の怠惰なところだ。

とうだうだしながらヨーロッパに赴任して、ふと思い立ったのは「ちゃんとしたオーケストラってやつを聴きに行ってみようじゃないか」ということだった。ウィーンだろうがチェコだろうがベルリンだろうが、とにかく「なんとかフィル」ってやつがヨーロッパにはいくらでもあるのだ。いや、日本にも交響楽団があるのは存じ上げているが、とにかく今がチャンスだ。意外と感動とかしちゃうかもしれない。と、適当な売り出し中チケットを探して気がついた。なんと、ヨーロッパの夏はオーケストラのオフシーズンなのである。そんなの今まで誰も教えてくれなかったぞ。それらしいチケットがあると思ったら、それはチェコフィルのオケではなくチェコフィルに所属する弦楽器隊のアンサンブルだったりする。なぜ夏に全面的にオフになってしまうのかは今もってわからないが、そういうことならばどうしようもない。

秋になってワルシャワに旅行した折、やっとそれらしいチケットを手に入れることができた。ワルシャワフィルと、過去のショパンコンクール優勝者によるピアノコンツェルト。確かにうわすげえ、という感じだった。が、感動とか興奮とかは特になく、やばい、と思ったのは自分の感受性に対してだった。ブラヴォー、とか言いながら立ち上がる婦人紳士たちを眺めながら、どこがブラヴォーなのかよくわからなかったのだ。いやそりゃ上手いだろうよ、だってワルシャワフィルとショパンコンクール優勝経験者だぜ。ホールを出てホテルへの帰り道、ピンクと青の混ざった悪趣味なライトアップに浮かび上がる文化科学宮殿(いわゆる「スターリンの贈り物」)の尖塔を眺めながら、何かの凄さを感じたり、素晴らしさに気づくためには素養と訓練が必要なのだろうと噛み締めた。文化教養資本の圧倒的不足というやつだ。素養が足りないならば訓練を重ねるしかない。

次は年末にベルリンに行って、ベルリンフィルを聴く予定にしていた。演目はベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」。年末ならではの繁忙期をなんとか捌いた出発前日の夜、職場のクリスマスパーティに向かう路上で妙な寒気を覚えた。まあそりゃ寒いからね、とごまかしごまかしアペロを切り抜けたはいいものの、ディナー終盤、目の前に血も滴るような牛肉のステーキが出てきたところで自分が風邪をひいたことを認めざるを得なかった。ひとくちも食えない。付け合わせの人参をつつく私を見て、隣に座った岩のようなドイツ人同僚が「君はベジタリアンだったっけ?」などと尋ねてくる。いやそういうわけじゃないんだけどさ、これはなんというか、not for meってやつかな、などと覚えたての言い回しを吐く自分の口腔内が不味い。ディナーの後も延々続く談笑を切り上げて帰宅し、熱を測ると38度。今夜奇跡でも起こらなければ、明日のベルリン行き飛行機に乗れることはないだろう。私は泣く泣く全てを諦めた。

 

前振りが前振りとは思えないくらい長くなったが、何しろ思いついた順に書いているので仕方がない。ここまでで3,000字近く書いておいてなんだが、推敲する気もない。やっと本題だ。

年が明けてベルリンフィルのスケジュールを確認したら、なんとシベリウスショスタコーヴィチプロコフィエフをまとめて演るという日程があった。どれもこれも「壮大で勇壮でかっちょいい」、オケ的厨二ホイホイといっても過言ではないラインナップではないか。エレガント一辺倒の宮廷音楽をどうにも好きになれないお子ちゃまな私にはもってこいだ。迷わずチケットを押さえ、旅程を組んだ。この旅行の目玉はベルリンフィルザクセンハウゼンだ。最高にスノッブな組み合わせに我ながら満足を禁じ得ない。

 

油断すると震えのせいで昼に食べたカリーヴルストが戻ってきそうなくらい寒いベルリンの夜、私は生まれて初めてオーケストラの演奏に惹きこまれた。プロコフィエフの「交響曲第二番」。Wikipediaの説明くらいは事前に読んでいたが、まさにそれは「鉄と鋼でできた」交響曲だった。難解なフレーズが絡み合うが危なっかしさはどこにもない。心が鼓舞されるようなわかりやすい勇壮さでもない。緊迫感に支配された、急な斜面を駆け落ちるようなトランペットを追う弦楽隊のハーモニーは不思議なほど芳醇だ。それを低音が突き上げるように支える。抑制の効いた中に爆発しそうな力を秘めたフレーズが流れたと思ったら、ともすればヒステリックにも転んでしまうだろう高音が急き立てて目まぐるしく展開していく、なるほどこれはアヴァンギャルドだ。と納得している余裕など演奏中にはなく、かろうじて考えられたのは「これをまとめている指揮者はすごい人なのではないか」ということだけだった。

 

その指揮者が、ディマ・スロボデニュークだったのである。

ステージ上手側、ちょうどコントラバスの目の前あたりに座っていた私からは指揮者の顔など見えない。が、黒いパンツから深いネイビーのドレスシャツの裾を出した彼はずいぶん華奢に見えた。大の男に向かって華奢というのもなんだが、いかにも指揮者でございという感じではない。これだけ難解で複雑なオケを振っていながら、芝居掛かったところは一切なく、淡々としているようにすら見える。厳格にびしびし振るのではなく、空に舞う羽根をかき回すような柔らかくゆったりとした腕の動き。なんなんだこの指揮者は。なんなんだ、というか、指揮者に注目したのはこれが初めてなのでよくわからない。

何かとんでもなくすごいものを見た気がして、彼のことを調べてみた。日本語の情報がほとんどない。仕方ないので英語でいくらか見てみたら、まだ40前半だという。若いのではないか。いや、音楽なんて超早熟の天才がばかすか出てくる界隈だが、なんというか思ったより若かった。ロシア人で、スペインのガリシア交響楽団に次いでフィンランド・ラハティ交響楽団で首席指揮者。その日私が見たのがベルリンフィルでのデビューだったようだ。今改めて調べてみたら、幸いベルリンフィルデジタルアーカイブに日本語版の紹介記事が出ていた。

www.digitalconcerthall.com

ガリシア交響楽団もラハティ交響楽団も初めて聞いた名前だ。何しろ素養がないので仕方ない。で、もう少し調べてみるとガリシア交響楽団というのがなかなかサービスのいい楽団で、ディマ(姓が読みづらいので名で呼ぶが、どうも馴れ馴れしく聞こえるな)の振った演奏をいくつかYoutubeに上げてくれていた。

www.youtube.com

スペインでシベリウスかあ、と思いながら再生して、さらにもうひとつ、同じ楽団の違う指揮者の演目を聞いてみてわかった。指揮者というやつはすごい。指揮者いかんでオケの演奏は一気に変わってしまう。どっちがすごいとかいうのはよくわからないが、ディマの振ったオケは「ディマのオケ」になっている、気がする。つーか、フィンランドで指揮者修行をしたということも大きいのか、シベリウスが超いい。曲も違えば聞いている環境も違うので気のせいかもしれないが、ベルリンフィルだろうがガリシアフィルだろうが、「ディマの振るシベリウス」として同じキャラクターを持っているように感じるのだ。

 

それからいくらか指揮者を気にするようになって、いわゆる「クラヲタ」(クラシック・オタク)と呼ばれるような人たちのディスクレビューなどを読み漁った。どうやらこの道では、楽団より指揮者オリエンテッドに聴くのが主流らしい。今でこそなるほどなと思える、確かに指揮者は音楽を演出するのが仕事で、台の上に立ってしたり顔で棒を振り回すためにいるのではない。

それならちょうどいい、と思った。これからクラシック音楽、特にオケ系への理解を深めるにあたっては、一人か二人、軸にする指揮者を決めておくとよさそうだ。落語を聴き始めるのに、贔屓の噺家を見つけておくのと一緒だろう。ある指揮者を深追いすることで楽団や演目を理解し、並行して同じ楽団や演目を他の指揮者が振ったらどうなるか、という視点で横展開していく。なんということはない、読書や勉強と同じだ。

ということでこれからはディマ・スロボデニュークを追ってみることに決めた。調べてみたら今はなぜかニュージャージーにいて、5月下旬にライプツィヒでゲヴァントハウス管弦楽団を振るそうだ。それが終わったらヨーロッパは前述の通りオフに入ってしまうので、8月上旬にはボストンに飛ぶらしい。業務の都合で8月は日本に帰らないといけないので、目下のところは来月ライプツィヒに行くかどうかだ。その前の週はノルウェーエクス・マキナのロケ地に行くので、2週連続の旅行は厳しいが、これを逃すと次は秋まで待たなくてはならない。悩みどころだが、ライプツィヒ、行ってしまう気がしている。

祈りは依然として遠く(十字架の丘編)

さて、2日間の会議を終え(合間に同僚のポーランド人に巻き込まれて75度のウォッカをショットで食らったりしつつ)明けて土曜日。市内観光はさておいて、リトアニアの北、シャウレイを目指して移動した。目的地は「十字架の丘」だ。

画像はインターネットでもよく出回っているので見たことがある人も多いだろう。小さな丘に文字通り十字架がびっしりとひしめき合っている。

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写真が下手なのはご容赦いただくとして、

十字架の丘 - Wikipedia

いわば巡礼地である。長い抑圧の歴史の中で、殉教者や兵士たち、弾圧された市民を追悼するために、誰知らずいつ知らず、丘に十字架が建てられはじめた。ソビエトが何度か破壊を試みるも、人々はまた十字架を捧げる。いつしか丘は立錐の余地もないほど十字架で覆われ、今日でも新たな十字架は後を断たない。ここは祈りの場所、信仰と抑圧と弾圧の犠牲者を悼む地である。

 

以前も書いた通り、私は「祈る」ことを知らない。祈り方も、祈る相手も、祈るべきことも、いまだにこの手に持たぬままだ。

iwomfpp14.hatenablog.com

だから祈るべき場所を訪れる時はいつでも後ろめたく、引け目のようなものを感じながら足を踏み入れる。人々と同じ信仰も、異なる信仰すら持たず、いわば物見遊山的にその神聖さ、犯されざるべきものを消費するような振る舞いが許されるものではないのだと言い聞かせる。

それでも祈りの場所に向かってしまうのには何通りかの理屈がつけられる気がするが、例えばひとつには「祈られ続けるべきことについて知るため」なのかも知れない。人々が祈りを捧げる。祈り続ける。何年にも、何世代にもわたって織り上げられる祈りの対象は必ずしも神だけではない。十字架の丘がそうであるように。なぜ祈るのか、祈りが何を意味するのか、何を生み出すのか、これらを知るには知識だけでは足りない。「どのような出来事が、なぜ発生してしまったのか」は理屈として獲得できるだろうが、「その出来事が何を意味し、人々に何を与えたのか」は言葉だけでは理解しきれないし、説明するのもきっと難しい。

忘却を拒絶する手段としての祈りがここに成立する。祈りそれ自体は、他者に対して「何があったのか」を語らない。ただ祈る身体が「ここには祈り続けられるべき何事かがあった」ということだけを示す。私は祈る身体(この「祈る身体」には、突き立てられた十字架やそびえ立つ記念碑や燃え続ける火が含まれる)を見て、「忘れられてはならないことが起きたのだ」ということを知る。

 

それでいいのかもしれない。

祈りの場を侵す後ろめたさはいつまでも消えないし、どこまで学んでも私が当事者ではないことは変えられないが、私は彼ら祈る身体を通じて「記憶されるべきことがここにある」ということを知ることができる。何が記憶されるべきか学習できる。

その上で、どうすれば同じ祈りが繰り返されずに済むかを考えなくてはならないのかもしれない。そのために動かなくてはならないのかもしれない。何より、私が当事者側の人間である出来事は極東にいくらでも残っている。今でも種火がくすぶり燃え上がろうとしている。遠く離れた欧州で、まるで縁もゆかりもない国の人々の祈りに思いを馳せるなど悠長で滑稽で傲慢なことなのかもしれない。私は日本を祖国として愛せず、日本が犯し続ける罪を他人事にして逃げているだけなのかもしれない。

逡巡はいくらでも残る。それでも、さまざまな国で、街で、何が起きたのか、何を忘れてはならないか、知らないよりはマシだ。きっと。我々はどこでも同じような理由で同じような罪を犯す。取るに足らない差異をことさらに取り上げて、その差異を劣ったものとみなし、社会から世界から弾き出そうとする。アーレントアイヒマンに対して述べたように、他者を世界から排斥しようとしたその罪によって我々は世界から排斥されるに足る存在となる。

同じ祈りがこれ以上繰り返さずに済むにはどうしたらいいか、理念はシンプルだ。誰もが相互に他者を排斥してはならない。「わたしとあなたは違う」「わたしたちと彼らは違う」という言葉に対して、「そうですね」と答えてはならない。「そうですね、で、それが何か?」と答えることで、「違いますよね、だから切り分けなければいけませんよね」という問いかけの前提をこてんぱんに崩してやらなければならない。

分断と排斥の試みに対して中指を突き立てて、差異は差異のまま、たとえその差異を理解できなかったとしても、互いに理解できないままであることを是として生きてゆくのだ。と、言うは易し、それができていたら今頃血は流れない。

 

そんなことをぐるぐる考えながら十字架の丘をうろついていた。前日までの雪が溶けて足元は泥だらけだ。白いスニーカーなんかで来るんじゃなかった。

十字架の丘の手前には売店があって、小さな十字架を売っている。誰でも買ってメッセージを書き入れ、丘に残すことができるのだ。様々な言葉で何事かを祈る真新しい小さな十字架があちこちに見える。

読むともなしに(というか英語でなければ読めないのだが)見て回っていると、たまに日本語のメッセージに出くわす。「世界が平和でありますように」「みんなが幸せでありますように」なるほど、ちょっとかしこまった絵馬のようなものだと思っているのかもしれない。「○○くんと結婚」と書いてあるものすらある。他人がどこで何をどう祈ろうと私がどうこう言うことではないのだが、お前、はるばるリトアニアの端まで苦労してやって来て、ここが何のための祈りの場所か知っておいて、いくばくかの金を払って十字架を買って、そこで吐露するのがお前の結婚願望か。勘弁してくれ。

 

 

ヴィリニュスに戻ると日が暮れかけていた。

夕食を摂りに入ったレストランで、スープとツェペリナイを頼んだら「それではあなたには多いと思う、まずスープを食べて、それで様子を見て。メインをハーフポーションにもできるから」というスタッフのありがたいアドバイス。素直に従ったところ、彼女の懸念は大当たりで、ハーフサイズにしてもらったメインも半ば無理やり詰め込んだような有様だった。

 

リトアニア、というかヴィリニュス、とてもいい街だった。帰ってから同僚のリトアニア人に「とてもよかった、また行きたい」と言ったら「お前、マジでそれ言ってんの?」と真顔で聞き返されてしまったが。まあ、私も日本に観光してきた非日本人に同じことを言われたら、同じように聞き返すだろうけれども。祖国なんてものはそんなものなのかもしれない。

リトアニア旅行抄(概要編)

リトアニアに行って来た。業務出張だったのだが、日程が木曜と金曜だったのをいいことに、滞在を延長して週末はプライベートだ。

今回の滞在で一気にリトアニアを好きになってしまった。何がいいっていろいろあるが、とにかく雰囲気を気に入ってしまったのだ。近いだけあってポーランドと感じが似ている。ポーランドも好きなので、単に私が東欧好きだというだけかもしれない。

 

さて、リトアニアバルト三国といえば、昨年末にエストニア大使館のツイートがバズったのも記憶に新しい。

 日本人であれば、北から順に50音順だ。つまりリトアニアは三国で最も南西に位置する。上記ツイートの地図をご覧いただければ分かる通り、北はラトビア、東はベラルーシ、南はポーランド、西はロシアの飛び地カリーニングラードと接する。緯度が高いのでわりと寒く、3月も末だというのにぼた雪が降っていた。

 

地理関係から一目瞭然だが、リトアニアは東欧諸国の御多分に漏れず艱難辛苦の歴史を積み上げて来た。ひとことで言うと、ロシア・ソビエトとドイツが悪い。近現代ヨーロッパ史はだいたいロシアとドイツとイギリスが悪いのであえて言及するまでもないが。

詳しくはWikipediaにでも譲るとして、その翻弄されぶりは20世紀の100年間を見るだけで十分だろう。20世紀初頭にロシア帝国から独立するもほどなくしてソビエト・ナチドイツの両国から侵攻を受ける。第二次大戦後はソビエトの構成共和国に編入され、ついに独立を達成したのが1990年。つい最近だ。具体的には、BUCK-TICKがデビューした時、リトアニアはまだソ連だった。これが具体的な例に聞こえるかどうかは人によるが。

北方の痩せた土地、鉱物資源にも乏しく、加えて人民が外圧で離散を繰り返して来たという歴史、現体制が成立してまだ半世紀も経過していないその若さから、近年ではバイオテクノロジーやIT系のスタートアップが盛んらしい。一説によるとイスラエル(テルアビブ)がそのお鉢をリトアニアに奪われつつあるという話だ。

 

そんなわけで、首都・ヴィリニュスはその小ぶりな街の中、おそらく半径5km圏内に300年分の歴史を一気に放り込んだような様相だった。

街を北から西に貫くネリス側の北側は企業ロゴを貼り付けたガラス張りの高層ビルがいくつも普請中だ。その対岸に位置する旧市街にはバロック・ゴシック・ルネサンスなんでもござれの教会たちが立ち並ぶクラシカルな街並み。そして中心部を少し離れればソビエト式の画一的なアパートメント群にグラフィティを添えて、といった塩梅だ。全てが互いに調和を拒否しており、でありながら全てがそこに住まう人々の生活の各局面に溶け合っている。人間の生活の営みだけが破綻しそうな各時代の遺産をつなぎ合わせている。

 

中世まで歴史を遡れる都市ではあるが、欧州の古都には珍しく街は平坦で、大きな起伏がない。きちんとルート設計すれば市内の観光は1日、ある程度博物館を詳しく見るとしても2日あれば余裕だろう。バスやトロリーバスも頻繁に走っているが、市内観光だけならば徒歩で十分だ。

何をおいてもまず教会だ。人口密度ならぬ教会密度というやつがあれば、ヴィリニュスはわりと上位に食い込むのではなかろうか。ナポレオンが「フランスにお持ち帰りしたい」と言ったという聖アンナ教会、神殿のようなヴィリニュス大聖堂、聖堂内の彫刻に圧倒される聖ペトロ・聖パウロ教会、これらのカトリック教会に加えて東方正教会プロテスタントと、思いつく範囲の宗派はだいたい揃っている。東方正教会はどの教会も香を焚き染めてあるということに初めて気が付いた。これも教会を手当たり次第にハシゴしたゆえの発見だ。博物館も数こそ多くはないが、KGBジェノサイド博物館を筆頭に充実した内容を提供してくれる。

 

とにかく物価が安い。全ての生活コストが高いスイスと比較すると、ざっくり3分の1から4分の1といったところか。500mlのミネラルウォーターが0.5〜0.7ユーロ。スープとツェペリナイ(マッシュポテトとひき肉のダンプリング)でお腹いっぱい食べて飲み物をつけても8ユーロくらい。あまりに物価が安いので、現金払いだと少額コインが大量に発生してしまう。が、街角のキオスクでもカードを受け付けるので敢えて現金を使う必要も特にない。タクシーも安い。ヴィリニュス空港から旧市街まで30分弱のドライブだが、料金が10数ユーロでびっくりした。

治安もよさそうだ。滞在中、夜間も含めて危険を感じたことはなかった。

ありがたいのが英語が街中で通じることで、ホテルやレストランはもちろんのこと、タクシーやキオスクでもこちらが異邦人と見ると向こうから英語で話しかけてくれる。リトアニア語、英語のほか、年代によってはロシア語も通じるようだ。なお、リトアニア語で「ありがとう」は「アキュー」みたいな発音である。

 

シティセントラルには小さいながらGO9というショッピングモールがある。この中にリトアニアブランドを集めたセレクトショップがあるのだが、とにかくどのブランドも私のツボを突きまくり、店内で30分ほど正気を失った結果、気がつくと大きな紙袋を下げて送り出されていた。リトアニア土産といえばリネンと琥珀が有名だそうだが、リトアニアのインディペンデントブランド、侮りがたしである。

 

リトアニアはカフェ文化も盛んだということで、街角のいたるところでコーヒーショップを見かける。観光中の休憩場所には事欠かない。

食事は前述の通り安価だが、いかんせんヘビーなメニューが多い。ローカルフードの代表格、ツェペリナイはマッシュポテトでひき肉を包み、蒸したり表面をかりっと焼いたりした上でサワークリームやベーコンビッツオイルをかけて食べる。どう考えてもデブ製造機なのだが、不思議とリトアニアの肥満率は高くないようだ。とはいえ、どのレストランも充実したスープメニューを提供しており、胃弱にとって優しい側面もある。ちなみにヴィリニュス大聖堂近くにラーメン店がある。ヨーロッパで食べるラーメンとしては及第点だ。お店のトレードマークがどう見てもスパゲッティモンスターなのもかわいい。

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ここから観光しつつ思ったことなどを書こうと思ったが、長くなってしまったので別記事に分けることとする。今日はここまで。

ヨーロッパで日本の本を手に入れる

スイスに赴任して1年が過ぎたところだ。

何しろ、生まれて初めてのパスポートを入手したのが赴任の前年というくらい海外に縁がない人生を送ってきたので、仕事も当然ながら生活の不安も大きかった。その内の最たるものが「どうやって日本語の本を手に入れるか」だ。

 

ヨーロッパで大規模な日本人コミュニティが存在するのはドイツのデュッセルドルフくらいで、スイスでは食材はともかく、日本語の書籍を扱う店など望みようもない。かと言って、それなら英語で読もうとか、いい機会だからフランス語やドイツ語を勉強してみようとか、そういう気にはならなかった(し、別に今でもそう思わない)。読書は日常の些事から離れて別の世界、異なる分野に没入してストレスを解消することと、新しい知識を得るためなので、異国語で読書をしても日本語で読書するほどのカタルシスが得られない。そこはお前、せっかく海外赴任してるんだからがんばれよという考え方ももちろんあるが、四六時中努力はしていられない。

日本に帰国する機会は基本的には年2回、それ以上はとてもじゃないが金と時間の都合がつかない。業務で日本出張があれば話は別だが、私の現在の業務は日本はビタイチ関係ないので、そんなチャンスはない。日本出張の機会が多い人も他部署にはいるが、その人たちに「本を持ってきてください」とお願いすることはやはりできない。こちらに赴任している人間は誰も彼も日本でなら手に入る食料品や子供用品などで手一杯だ。そこにかさばる重い本を詰めて来いとはさすがに言いづらい。

 

本の買い方には3パターンある。

1:電子書籍

2:書店で棚をブラウジングしながら気になったものを買う

3:欲しいと決まっている本をネットで注文する

 

まず電子書籍、海外赴任するとなればまず考慮し、周囲からも進められる経路だろう。わたしもいろいろな人に散々勧められた。実際に漫画は電子書籍で読んでいる。が、最大の問題点は「私が読みたい分野は電書化されにくい」という点である。出版部数の限られる人文科学系は、在庫を持つ必要がない電子書籍がある意味お誂え向きではあるのだが、出版社が対応しないのでは仕方ない。もうひとつは私が電子書籍で文章を読むのがどうにも苦手だということで、これまでも何度か試してみたがやはり違和感が大きい。書いてある内容が一緒でも、紙と電子では体験が違うのだ。ロートルと、懐古主義と言われようと、私は紙の書籍と心中するしかない。

次に書店購入だが、これこそヨーロッパでは望むべくもない。日本に一時帰国した時がチャンスだ。興味のある分野の棚を文字通り舐めるように端から端まで見て歩く。そうでなければこちらで日本語書籍を取り扱う書店を探すしかない。私が知っている限りではデュッセルドルフに2軒とロンドンに1軒だ。デュッセルドルフにはまだ行ったことがないが、ロンドンの「JP Books」には何度か行った。日本の地方都市の「まちの本屋さん」程度の品揃えで、雑貨と雑誌と文庫本と新書と漫画と観光ガイドしか売っていないが、贅沢を言ってはいけない。価格も当然のことながら割高だが、贅沢を言ってはいけない。数冊買うだけでポイントカードがいっぱいになって10GBP相当のバウチャーがもらえる。前回訪問したタイミングはちょうどカズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したところで、彼の著書を求める客が来ていたが、当然在庫はなかった。贅沢を言ってはいけない

 

ということで残るは「ネットで注文」だ。日本のネット書店に発注して届けてもらう。21世紀に赴任して本当によかった。このルートがなければ夏目漱石ばりにノイローゼになるところだった。

海外発送してくれるプラットフォームはAmazonなどいくつかあるようだが、私はいつもhontoを利用している。

honto.jp

ポイントは

1:海外から注文する場合、日本の消費税を徴収されない

2:印刷物扱いで発送してくれて、発送オプションが豊富

3:「手数料」がかからない

4:梱包が上手い

日本の消費税など高が知れているが、何冊も買えばちりも積もってそれなりの金額になる。これを免除されるのはありがたい。

hontoの最大のメリットは2点目の「豊富な発送オプション」と3点目の「手数料不要」だ。

配送方法(海外) - ヘルプ - honto

EMS・航空便・SAL便・船便と4種から選ぶことができる。数が少なくて急ぎならEMS、多少遅くてもコストを抑えたいならSAL便と言ったところだろうか。私はたいてい大量に買って重量も増えるのでSAL便だ。EMSなどコストが恐ろしくて使えない。時間はかかるがやむを得ない。発注から到着までおよそ1ヶ月強。会えない時間が愛育てるのさ、とはよく言ったもので、1ヶ月以上待つと届いた時の喜びもひとしおだ。あと、発注してから1ヶ月経つと自分が何を頼んだかだいたい忘れているので、ちょっとした福袋状態(しかもアタリしか入っていない)も楽しめる。

3点目の手数料に関しては、それこそネット通販最大手のAmazonのページを参照いただくのがいいだろう。

Amazon.co.jp ヘルプ: ヨーロッパへの配送料

配送1件あたりの送料は確かに安い。が、「商品1点ごとにかかる手数料」が曲者だ。Amazonが販売するか、マーケットプレイス商品かで異なるが1点あたり350円から500円(発送先国によって金額は異なる)。これが積算されて最終的なコストはhontoを上回る。試しに先日のわたしの購入履歴で比較してみよう。

合わせて22冊の本を買った。文庫本・単行本取り混ぜてこの量だとまず1箱には収まらない。2個口発送になった。これは恐らくAmazonでも同様か、ひょっとしたらもっと口数が多くなるかもしれない。

書籍の税抜価格は39,830円。hontoなので税抜だが、これに8%の消費税がかかるAmazonであればプラス3,187円。

配送はSAL便で9,312円。Amazonの配送情報を参照し、仮にhonto同様2個口で届けてもらったとすると、送料と手数料で計9,900円。Amazonが在庫を持っておらずマーケットプレイス出品者からの購入が混ざったとすると手数料はもっと上がる。

さて書籍代と送料等を合わせた合計金額は、

honto:49,142円

Amazon試算:52,917円〜

最低でも3,775円の差額が発生する。それなりの金額だ。3,800円あればレストランでお夕飯にグラスワインと食後の紅茶が付きますよ。

4点目の梱包の上手さも、ひょっとしたら送料に関わって来る可能性がある。Amazonのガバガバ梱包はネットでもネタになりがちだが、その点hontoは洗練されている、異なるサイズの本をよくできたテトリスのように組み合わせて綺麗な長方形を作り、ビニル袋でくるんで水濡れ破損リスクを下げる。それを適量の緩衝材で包んでダンボール箱に収めるのだが、本のサイズに合わせてダンボール箱を切り折りたたんで梱包を最小化してくれるのだ。ダンボールの大きさ優先で、余白スペースをそのままにするAmazonではこうは行かない。

 

というわけで、海外在住の方で日本の書籍を物理で買いたい、という方にはhontoを強くお勧めします。

蛇足ながらhontoは新刊書店なので、古本は取り扱っていない。つまり、絶版本を手に入れられない。ここはマーケットプレイスを有するAmazonに長がある。古本の購入といえば「日本の古本屋」だが、惜しむらくは海外発送していないのである。サイトを探しても海外発送の文字すら見えない。絶版本が欲しければ一時帰国のタイミングで「日本の古本屋」に注文するなり古書店を回るなりするしかない。

www.kosho.or.jp

 

なお、悪名高いスイス税関だが、今回の購入も関税は徴収されなかった。4万円近くなると危ないなあ、と思っていたのだが、SALの出版物扱いにしてもらったので問題なかったようだ。未開封で届いた。税関が厳しい国にお住いの場合、Amazonなどに発注した荷物が無傷で届くとは思わないほうがいい。

 

ということでhontoをお勧めしたいがあまりAmazonに難癖をつける記事になってしまった。誰かを褒めるのに他の誰かを貶すような真似はするべきではないのだ。言いたい放題言った後だが多少反省している(だが修正はしない)。

蔵書を数える会

大した量の蔵書ではないが、よくある本棚ひと竿では収めるのが難しいくらいの数ではある。

先日、ふと蔵書を出版社別に分けたらどんな割合になるのか気になった。贔屓の出版社はいくつかあるが、実情はどんなものなのだろうか。

で、数えてはみたが、そこまで愉快な結果にならなかった。簡単にまとめます。

 

対象は日本の出版社によって刊行されたもののみとし、外国語の本、博物館や映画のパンフレットや雑誌類は除く。出版社内レーベルの分割は行わない。

数えてみたら文庫本・新書・単行本全て合わせて400冊弱。量としてはまあこんなものか、という感じ。

文庫本と新書で量の7割を超える。もう少し単行本の方が多いかと思っていたが、1冊あたりがでかくてかさばるだけであって数量自体は大したことがなかったようだ。

 

出版社別に見てみると、最多は新潮社で17.7%。文庫本の多さ(文庫本・新書の2割)がポジションを牽引している。こんなに新潮文庫ばかり持っていたのかと驚いた。あれもこれも新潮文庫だ。新潮文庫は紐栞が付いているのが素晴らしい。きちんとした栞を使う習慣がないので、本自体に紐栞が付いていない場合はアンケートハガキや刊行案内、最悪はそのあたりのレシートなどを栞にしなければならないのだ。依然として縮減が叫ばれる日本経済だが、新潮社にはこのコストだけは削減しないよう重ねてお願いしたいものである。

その後を筑摩書房(11.7%)、角川書店(8.6%)、河出書房新社(7.6%)、平凡社(6.0%)が続いてこれでトップ5だ。感覚とそこまで乖離はない。強いて言えば角川が3位というのが意外といえば意外だが、古典名作を表紙だけ挿げ替えて売り出すなど、とにかくアクセシビリティの高さには定評がある。あのシリーズ、メインターゲットはティーンと見せかけておいて、実は「昔、図書館で借りて読んだことがあるけど忘れちゃったしもう一度読みたいな」という20代後半以降なのだろう。まんまとしてやられたというわけだ。

 

リストを眺めていて気づいたが、上位4社は「チチカカコヘ」キャンペーン参加社なのである。

チチカカコヘ」と言われても何か旅行者向けのパッケージかと思われそうだが、これは出版社横断型キャンペーンで、学術文庫シリーズを持つ6社レーベルの頭文字を取ったものだ。それぞれ「ちくま学芸文庫」「中公文庫」「角川ソフィア文庫」「河出文庫」「講談社学術文庫」「平凡社ライブラリー」を指す。

チチカカコヘ 6社編集長が本気で推す教養書を集めました!|紀伊國屋書店Kinoppy

「教養はチカラだ!」と銘打ったフェアを展開し、各レーベルの編集長が他社の本を推薦していたりして、なかなか面白い。自分の興味に合う方面で、出版社の垣根を超えたこんなキャンペーンが展開されるというのはありがたい話だ。

話はずれるが私は消費財メーカーに在籍しており、マーケティングのような仕事をしている。人口減少に端を発する総需要の減少は課題のひとつで、そういう意味では出版界も同様の課題を抱えているのだろう。本が読まれない、特に人文書のシュリンクが激しい状況が長年続き、かつ将来的に状況が逆転する兆しもないという時に、競合する社が共同戦線を張りつつ健全な競争を盛り上げる「チチカカコヘ」のようなキャンペーンは羨ましくもある。もちろん、私の担当する商材(一人いちブランドが定石でブランドスイッチが起こりづらい)と出版物ではまるで性質が違うわけだが。

とにかくいいキャンペーンなので機会があったらリストを見て欲しい。平凡社ライブラリーで思い出したが、平凡社のレーベル担当営業が運営するTwitterアカウントがなかなか薄ら寒いのだけはなんとかならないだろうか。見ていられなくてだいぶ前にアンフォローしてしまった。親しみやすさを履き違えちゃいないだろうか。どうでもいいけど。

 

さて、総合蔵書数における出版社ランキングは、そのまま文庫・新書カテゴリにおけるランキングと一致する。

一方、単行本カテゴリに絞ってみると、このランキングが一変するのである。

1位に躍り出るのは青土社、カテゴリ内シェア11.4%。総合1位の新潮社が僅差の10.4%で続く。以降は河出書房新書(6.7%)、みすず書房文藝春秋が同率(5.7%)。

ここで出てきたぞ青土社。4位のみすず書房と並んで、私が最も信頼する人文系出版社だ。自分で買って揃えた自分の本棚なので当然だが、贔屓の出版社が上位に来ると嬉しくなってしまうものである。

青土社みすず書房も人文諸科学の分野では重要な出版社で、いわゆる重厚長大系を得意とする。日本人によるものも、外国からの翻訳もいずれも誠実なラインナップで、学生時代にお世話になった院生のひとりは「いつか青土社から本を出版してもらうのが夢」だと言っていた。青土社、近年の「ユリイカ」はどうもサブカル寄りなのが気にくわないが、それでもTwitterで新刊案内が回って来ると3回に1回はふぁぼってウィッシュリストに入れてしまう。みすず書房ホロコースト関連書籍の翻訳が手厚い。本当に末長く続いて欲しい2社だ。

 

改めて蔵書をカウントしてみるのはなかなか面白いものだった。買ったはいいが読んでいない本がここにもそこにも、といった塩梅で、後ろめたさを覚えないでもないのだが、積読積読でいいのである。それらは「買ったが読まなかった本」ではなく、「買ってしかるべきタイミングを待っている本」なのだ。世界は広く、本は多く、人生は短い。たとえ300歳まで意識と視界を明瞭なままで生きることができたとしたって、この世の全ての面白そうな本を読み切ることなどできない。地獄に持っていけないのは金だけではないのだし、これからも読みたい本を読みながら死ぬまでは生きる所存である。なんだこのまとめ。

Deftones - Knife Party和訳

www.youtube.com

 

ヴィジュアル系で育ったので必然、長じて聴くようになった洋楽は主にUK・ドイツ産が多くなったわけだが、その中でも例外的に好きな米国産バンド、Deftones

ラルクYukihiroのソロプロジェクト、Acid Androidのライブレポを雑誌で読んでいたら、楽屋でDeftonesの「Be quiet and drive」が流れていた、と書いてあったので手を出した。

「乾いた耽美」とでも形容しようか、遠く差し込む一条の光に向かって暗がりから手を伸ばすような激情と諦念にも似た抑制を、妙にメロウに浮遊するヴォーカルとノイズをまとってうねるギター、歪みのたうつベースとフックの効いたドラムにカットインする電子音が描き出す。枯れ井戸の底から天を仰ぐような世界が気に入った。って、勝手に思ってるだけですが。

同じ「暗い」でもUKロックのような湿っぽさは感じさせない。完全に乾いている。サウンドは重いけれど、正統派メタルのようなカッチリ感はなく、うねり、のたうち、加速と停止を繰り返す。

 

間違いなく名曲の「Be quiet and drive」も「Minerva」も「Digital Bath」もいいのだけれど、ここ数年自分の中で一番気に入っている「Knife Party」を訳してみた。

クスリでも決めてるのかしら、どうかしら。一説によるとこのトラックを収録しているアルバムのタイトルWhite Ponyとはコカインを指す隠語だそうで、なるほどね、という感じです。

 

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俺の「ナイフ」は鋭いクローム製、

こっちに来て俺の骨の中を見てみろよ。

仲間たちはみんなここに集まってる。

次の「王」は俺だから、

今度は「女王」を手に入れなきゃならない。

 

ほら、俺たちはもうすっかり出来上がってしまった。

ここじゃみんながぼんやりとただ優しくなれるんだ、だから。

 

お前もナイフを手に入れろ、

ナイフを持ってこっちへ来いよ。

お前のナイフを持って、

そう、横たわって。

お前のナイフを持って、

そして俺にくちづけてくれないか。

 

ああ、このままずっとここで浮かんでいられる。

この部屋の中じゃ、

俺たちはどうしたって床に触れられない。

そう、ここじゃ、

俺たちはすっかり出来上がってしまって、

ここじゃ、誰もがぼんやりと優しいだけ、

だから。

 

お前もナイフを持って来いよ、

俺たちの仲間に入れよ。

お前もナイフを持って来いよ、

ゆっくりして行くといい。

お前もナイフを手に入れて、

さあ、俺にくちづけてくれ。

 

このままずっとここで浮かんでいられるみたいだ。

お前は最高に素敵だよ、

ああ、このままずっと飛んでいられる、

ああ、ぼんやりして最高に甘く優しい、

 

さあ、お前のナイフを取って来いよ、

こっちに来な。

お前のナイフを持って来いよ、

全てを委ねて。

ナイフを取って来いよ、

ああ、もう何も分からねえ、

ナイフを、ナイフを持って来いよ、

そして俺にくちづけを。

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最後の「kiss me」が甘いったらない。