世界の果てに似たものを見る(ノールカップへの行き方)

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世界が巨大な亀の甲羅の上で数匹の象に支えられたお盆のようなものだったらよかったのにと思うことがある。

限られた地上面積をはいずり回るだけの卑小ないきものにとって、地球がお盆だろうが球体だろうが洋ナシ型だろうが日々の生活認識は変わらないわけだが、お盆コンセプトの優れているのは世界に果てがあるところだ。世界の果て、その水平線を超えたらそこには何もない。

「何もない」状態に常に惹かれる。あらゆる存在や思考の拒絶、強靭な否定、絶対の静寂。宇宙空間がダークマターとかいうやくたいもない物質らしきもので満たされていると聞いたときは心底落胆したものだ。死後の世界などあってたまるものか。「何もない」空虚にダイブして物質としても概念としてもきれいさっぱり消滅したい。脆く崩れる白茶けた骨すら残さずに。無に対するロジックなき憧れに脳みそをべったり覆われたまま三十路にたどり着いてしまった。

とはいえ、どうやら世界はお盆ではないようなので、世界の果てを見ることも、ましてや飛び込んでみることもできないらしい。誠に遺憾だが世界の秩序がそうだというのならいかんともしがたい。であるならば、せめて「それっぽいもの」を見に行くことはできないだろうか。

できるのである。ノルウェーの北端はノールカップ、直訳すると"North Cape"、北極点まで2,100㎞あまり。ヨーロッパの最北端といわれるが、実際はもう数キロ北に本当の最北端があるらしい。まあ、それはいい。ほぼ最北端。別に北にこだわる必要もないのだが、どうも南端よりも北端のほうが「世界の果てっぽさ」が強い気がするので北に行く。アフリカとか南米は遠いし。

 

世界の果てっぽいポイントまでどう移動するか。

今回はとにかくノルウェーの大きさに泣かされた。ひたすら移動で1日を潰す。なんというか、東海道新幹線に乗る人が静岡県に対して抱くいらだちというか、「ええかげんにせえよ」という、えもいわれぬ感情に似ているかもしれない。旅程は以下の通りだ。

ジュネーブ → ブリュッセル → オスロ → アルタ → 一泊 → ホニングスヴォーグ → ノールカップ

ジュネーブからアルタまでは飛行機を乗り継ぎ、アルタからホニングスヴォーグ、ノールカップはバスで移動する。ジュネーブからオスロの直行便が押さえられればよかったのだが、時間が合わずに過去最大回数の乗り換えと相成った。なお、ホニングスヴォーグにも空港(というか飛行場というか)はあり、トロムソから飛んでいるようなのだがこちらもうまくスケジュールが組めなかった。

 

さて、アルタに着いたとしよう。いきなり蛇足から入るが、7月のノルウェー北部は見事に白夜の世界だ。日没、午前0時。日の出、午前1時。ホテルのカーテンを閉めてベッドに横たわると、カーテンの隙間から光が差し込み、学生の頃、徹夜で飲んでぐったりと就寝した午前7時を思い出す光景だ。

アルタからホニングスヴォーグまでは長距離バスで4時間ほどかかる。本数はさほど多くないので注意されたい。

http://www.nordkapp.no/en/transportation/bus-to-alta

ノルウェーでは一般的な記述法のようだが、曜日を数字に置き換えた時刻表が各地で見られる。上記時刻表では、9時アルタ発の便は日曜しか運航しておらず、11時45分発の便は土日は運航していない。

このバスはアルタ市内の観光案内所前が始発だ。その後、アルタ空港までの停留所を経由してSkaidiとOlderfjordで各10分程度の休憩を取りながらホニングスヴォーグまで直行する。

アルタで一泊するなら観光案内所から、空港に着いてそのまま移動したいなら空港から乗るのがいいだろう。料金は乗車時に運転手に対して支払う。「ホニングスヴォーグまで大人いちまい」と言えばいい。クレジットカードを使用できる。

www.google.ch

何しろ4時間の長丁場なので、あらかじめおやつと飲み物は買っていったほうがいい。SkaidiとOlderfjordにも売店はあるが、お土産物屋に毛が生えた程度のものなので期待しないこと。アルタ空港は発着ロビーにしか売店がないので、着陸後すぐにバスに乗るなら税関ゲートを通過する前に調達しなくてはならない。観光案内所の目の前にはショッピングセンターがあるので利用しよう。

バスはノルウェーの原野を突っ切ってひた走る。国土、特に平地の面積が限られている日本ではあまりお目にかかれないくらい「何にも使っていない」土地が広がっている。途中、数キロにわたってひたすらまっすぐな道を走るので、前方座席に座ると気持ちがいいかもしれない。空模様によってはオートレフケラトメーター(眼科で見せられる、まっすぐな道の向こうに気球が浮いているアレ)のような光景を拝めるだろう。だから何なんだという話ではあるのだが。そして視力のいい人間には通じないネタだが。

portal.nifty.com

あの画像はアリゾナの道路らしい。

 

閑話休題

黙って乗っていればホニングスヴォーグの観光案内所に到着する。乗車率が低ければ運転手もわりとフレキシブルなので、宿泊するホテルを通りかかるようなら途中で降ろしてもらうことも可能だ。

いざノールカップ、ということで観光案内所に聞いてみよう。いつバスが出発するか教えてくれる。併せてこちらのページも参照されたい。

Visit Nordkapp |To do, Nordkapp, Transport

ここにある通り、単なる往復のバスから現地でのツアーやアクティビティ込みのものまでいくつかのプランがある。お好みに合わせて選ばれるとよいが、私は現地では好きに過ごしたかったので往復便のみのNorth Cape Expressにした。片道30分ほど、現地には2時間ほど滞在できる。

 Visit Nordkapp |The North Cape Express, Bus, Transport

観光案内所のカウンターで支払うと、チケットというかレシートを発行してくれる。バスは観光案内所の真横、隣接するホテルとの間から出発するので、運転手にレシートを見せればOKだ。バスは荒野を走る。たまにトナカイの群れが草を食んでいるのが見えるくらいだ。

 

天候がさほどよくなかったのもあって、確かにその光景は世界の果てに似ていた。似ていたといったって実際に世界の果てを見たことがあるわけでなし(そして二度と見られないまま取るに足らない死を迎えるのだろう)、せいぜいが想像していた世界の果てのいくつかのパターンの、そのうちのひとつに似ているように見えたというだけだ。

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低く垂れこめる雲が霧となって辺りを煙らせている。遠くの山際からかすかに陽光の気配が覗く。風がひどく強い。気温は6℃、足元を駆けていく子供が7月だというのに手袋をしているのが見えた。

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海の上を雲が渡る。そのずっと先、水平線の向こうにはきっと北極がある。北極をさらに通り越したその向こうはカナダかアラスカあたりだろうか。世界に果てはない、こんなにも果てがあるように見えるのに、世界が果てることなどない。どうしてあの水平線の先が巨大な瀑布ではないのだろう。いや、どのみちわたしの目には水平線しか見えないのだし、ひょっとして世界はやっぱりお盆になっているのじゃないか。世界が球形だなんてやっぱり騙されているんじゃないか。この崖から海に飛び込んでずっとずっと泳ぐことができれば、もしかして世界の最果てに落ちることができるんじゃないか。だってこの髪を巻き上げる風は水平線にのしかかる雲から吹いてくる。

崖にそって張り巡らされたフェンスに寄りかかりながら埒もない空想にふける。薄着で凍える同行者がいなければ何時間だってそうしていただろう。世界に果てがないことに、どうしたって全く納得できない。こんなにも果てのように見えるのに。

仮にこの水平線の向こうに世界の果てがあったとして、その場合わたしはどうするのだろう。どんくさいわたしが、衆人環視の中で素早くフェンスを乗り越えることができるだろうか。この高い崖から飛び込むことができるだろうか。北極圏の凍りつくような海を数メートルだって泳ぎおおせるだろうか。いずれも否、どうしたってわたしが世界の果てに行き着くことなどできやしない。ならば世界に果てがあろうとなかろうと、この地球がどんな形状をしていようと、つまるところわたしの卑小な人生には何の影響もないということなのだ。わたしごとき矮小な存在が世界の秩序に触れることなど決してなく、ましてや「事象の地平面」のごとき絶対的な終焉に手を伸ばすなど、畢竟、妄想の域を出ないというわけだ。わたしは飛行機とバスを何時間もかけて乗り継いで、安くはない金を払って、寒風に吹かれながら己の存在のあまりに軽薄なことを改めて実感しにここまで来たというわけだ。

フェンスに預けていた体重を引き戻して、いよいよシバリングの止まらない同行者を連れて来た道を戻る。振り返ると、遠い崖に沿って雲が海に転がり落ちていくのが見えた。

 

翌日は嘘のように晴れた。気温も10℃は違う。村にひとつの教会を目指してゆるやかな坂を上がると少し汗ばむくらいだ。

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この村は海も空も作り物のように澄んでいて居心地が悪い。港のくせにやたらと透明度が高い水を眺めながら煙草を何本か吸った。きっと来てよかったのだと思う。あの時見た、鈍くたゆたう海と吊り天井のように分厚い雲、その隙間から漏れて淡く呼吸する光が最期に見る景色だったら、そうしたらあの光景がわたしの世界の果てになったのに、と未練がましく思わずにはいられないが。

大量の本を買ってしまった話

前回の更新からずいぶん日が開いてしまった。ブログというやつは長距離走や筋トレと同じで、一定のペースで続けられるうちはいいのだが、一度停止してしまうと再び始めるのがどんどん億劫になる。

 

何をしていたのかというと、おおむね仕事で疲弊していたというだけで、別段面白い理由ではない。

仕事で疲弊するのはいつものことというか、仕事というのはたいてい疲弊するものなので、仕事以外の何かで回復しなくてはならない。といったって座りっぱなしのデスクワーカーに深刻な肉体疲労があるわけではなし、手当てが必要なのは脳ミソと精神の方だ。

私は特に軟弱かつ怠惰に生まれついているので、精神がすぐにへばる。人付き合いがそもそも苦手なので、あっちに電話をかけ、こっちにメールを送り、続いて打ち合わせを、そういえば上司に承認もらわなきゃ、ああ資料の修正指示が、などという生活を三日も続ければ、もういやだこんなんやってられるかと精神が駄々をこねだす。駄々をこねるだけならいいのだが、結果、攻撃性が無駄に高まるのであまりよくない。

こうなると何とかして自分で自分の機嫌を取ってやらないといけないのだが、スイスに赴任してからというものの、ご機嫌取りがいささか難しくなった。

何故か。近所に美味い蕎麦を食わせる店がないのである。

これはわりと本気で言っているのだが、日本で暮らしていたときは徒歩圏内に美味い蕎麦屋があることが重要だった。というか、これまで住んできた物件はどれも、偶然にも近くに美味い蕎麦屋があったのである。美味い蕎麦屋は素敵だ。小料理をいくつか頼んで日本酒を呑みながら本を読み、締めに蕎麦を食うのだ。最高じゃないか。安っぽいスノビズムと言わば言え。試しにやってみたらこれが本当に楽しいのだから仕方がない。翌日が休みの日の夜に美味い蕎麦屋を一発決めれば自分の機嫌が取れる。数日くらいは保つ。これがパスタとワインではそうもいかない。そもそもヨーロッパ、ポーションがでかすぎるので、下手をすると前菜で満腹になりかねない。店員がいちいち声を掛けてくるのも気に入らない。ほっといてくれ。

 

そんな次第で、機嫌を取るにはひたすらに眠るという姑息的解決策に依存していた昨今だったが、ある日ふと、とあるサイトを開いてしまった。そう、hontoである。

私がいかにhontoを信頼しているかについては以下の記事をご参照いただきたい。

 

iwomfpp14.hatenablog.com

これがまずかった。

一方のタブでhontoを開き、もうひとつのタブでtwitterの「いいね」リストを開く。私の「いいね」はもっぱら、出版案内の備忘録として使用される。あとはリストをさかのぼりながら、手当たり次第にhontoで検索してカートに突っ込む。ひたすら突っ込む。今、何冊目をカートに入れたかなぞ数えるものか。ましてや価格など見もしない。

楽しかった。何しろ、自分で一度は「読んでみたい」と思った本ばかりなのだ。それはもう楽しい。しかも、自分が何をリストに突っ込んだかなど当然忘れているので、「このテーマでついに書籍が!」「この著者の新刊が!」と新鮮な驚きと喜びがある。フィーバー状態、ただしあふれているのは己の欲望だ。

たっぷり4か月分は遡っただろうか。やれやれ、どれくらいになったかなと、煙草に火をつけながらカートをチェックする。合計金額15万円なり。ちょっとよろしくない。さすがに15万円分も本を買うなど正気ではない。そんなに買ってどうするつもりなのだ。「えー、せっかく楽しかったのに」とまたぐずりだす意識をなだめすかしながら、いくらか削ろうと試みた。

がしかし、というか当然ながらというか、カートの中身が一向に減らないのだから参った。どうやら一種奇妙な自己防衛反応が働いたというか、せっかく自分の機嫌を取れているのにどうして楽しみを目減りさせなきゃいけないんだと、イドが全力で抵抗したらしい。やっとこさ数冊減らして、現在の合計金額は12万円。

12万円。よく考えてほしい。学生時代の1か月のバイト代、しかもわりとがっつりシフトに入った時くらいある。これが10か月続くと親の扶養から外されてしまうくらいの金額だ。12万円。近隣の国に週末旅行、上手くすれば2回行ける。12万円。まあわりとちゃんとしたエレキギターとかベースが中古で買える。特に目新しい機能が付いていない電子ピアノも買える。12万円。ヴィヴィアン・ウェストウッドでブラウスとカットソーとスカートが買える。12万円、東京の美味い蕎麦屋に12回くらい行ける。12万円。

 

気が付くと私はクレジットカードを取り出し、購入手続きを完了させていたのだった。私は本当にこういうところが愚かなのである。

 

発注から数日後、hontoから商品発送を知らせるメールが届いた。注文のタイミングではわからない送料(重量次第なので)も、併せて通知されている。なかなかの金額だ。送料表と照らし合わせてみるに、どうやら荷物は20kgあるらしい。

20kg。大きな米袋ふたつぶん。小学生低学年ひとりぶん。生ビールの樽ひとつぶんくらい。いいかげんくどいのでこれくらいにしておくが、そういうことだ。20kg。

たかだか自分ひとりの機嫌を取るためだけに12万円支払い、20kgの荷物を受け取ることになるのだ。本当に馬鹿なんじゃないだろうか。馬鹿というか、どこかのネジだかタガだかが外れているとしか思えない。

 

しかし良いのだ。これで良いのだ。たかだか自分ひとりの機嫌というが、私のように人付き合いが苦手で下手な人間はできるだけ自分ひとりで自分の機嫌を取る方法を可能な限り多く確保しておかないといけないのだ。周囲の他人様に機嫌を取ってもらおうなどというのはおこがましい、ましてや他人の機嫌を取るのがヘタクソな人間には特に。

これというのも、近所に美味い蕎麦屋がないからいけないのだ。そうだそうだ。仕方ないぞ。まあ、蕎麦屋があったって本は買うわけだが。

ルートヴィヒ2世最期の地・シュタルンベルク湖に行く

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今年のイースターミュンヘンに行ってきた。同僚たちに「お前はどうあっても西ヨーロッパには行かないつもりか」となじられながら、プライベートな旅行だけ数えても三度目のドイツだ。彼らの言う西ヨーロッパはつまりイタリアとフランスとスペインのことなのだが、このあたりの観光都市はどうしても優先順位が下になってしまうのだから仕方がない。

ミュンヘンだなんて何しに行くの」と聞かれるので、「日本から友人が遊びにきている」などと大変くだらない嘘をつく。日本からはるばるミュンヘンに遊びに来る友人などいるものか。本当の目的はダッハウ強制収容所と教会見物なのだが、「強制収容所と教会を見に行くんだ」などと馬鹿正直に話したところで、ランチが盛り下がるだけだ。同僚たちは私がビールを飲めないことも知らないので、「じゃあビールだな!」「そうそう、ヴルストとビールね!」で締めれば話題はすぐ別の人に移る。

かと思いきや、同僚のひとりが、ミュンヘンなら、と話をつなげた。

「あのお城とかいいわよ。えーと、ディズニーのロゴのモデルになったあのお城」

「ああ、ノイシュヴァンシュタイン城だね」

と拾ったのはケルン出身の別の同僚だ。彼がgoogleマップを開いて見せてくれる。ちょっと距離はあるけれど、ミュンヘンからなら日帰りのバスツアーがあるんじゃないかな。今の季節はすごく綺麗だよ。

 

なるほど、それは確かにいいかもしれない、と思った。ノイシュヴァンシュタインといえば言わずもがな、「バヴァリアの狂王」と渾名されたルートヴィヒ2世の傑作だ。

ルートヴィヒ2世のことは、鷗外の『うたかたの記』よりも映画『ルートヴィヒ』の形で頭に残っている。ヴィスコンティの有名作ではなくて、ザビン・タンブレアが主演した方だ。いい映画だった。何よりザビン・タンブレアがいい。あの腺病質な指の繊細さ、うつくしい瞳の動き、ルートヴィヒ2世は「狂った」のではなく、どこか違う世界からこんな汚い地上に引きずり出されてしまったのだと思わせる。あのうつくしき狂王に思いを馳せて、ゆかりの地に足を伸ばしてみるのもいいだろう。

とはいえ3泊4日の滞在、ダッハウに1日、ノイシュヴァンシュタインに1日だと、街歩きの時間が確保できるかどうか心配だ。5月のノルウェー行きに備えて、トレッキングシューズだのなんだのいくらか買い物もしたい。第一、イースターのノイシュヴァンシュタインなんて、城だの景観だのを楽しむどころではなさそうじゃないか。人の頭を見に行ったって仕方がない。何しろ人がたくさん集まっているのが嫌いなのだ。

さてどうするか、とルートヴィヒ2世Wikipediaを開いてみる。ノイシュヴァンシュタインの他にも彼による城がいくらか残っているようだが、いずれもミュンヘンから行きやすいとは言い難い。と、来歴の最後までたどり着いたところでいいことに気がついた。彼が最期を迎えたベルク湖がミュンヘンから近い。往復でせいぜい半日といったところだろう。ちょうどいい。

何の因果で人が死んだところばかり見に行くのか自分でもさっぱりわからないが、考えるまでもなく地球上のあらゆる場所で人は生まれ死んでいるのだ。何十年か何百年か遡れば、勤務しているオフィスの土地の上でも誰かが死んでいる。人が死んだところばかり見に行って何が悪い。おれたちは誰かが命を落としたその地点を踏みにじりながら生きているのだ。そしていつか踏みにじられる、自分がそうしてきたように。情緒も含蓄もクソもない言葉で納得しながら旅程を組んだ。

 

シュタルンベルク湖に行こう。問題は、どう行ったらいいかわからない、ということだけだ。地球の歩き方に載っているわけでもなし、日本語のページを検索してもそれらしき情報は出てこない。頼みの綱はgoogleの経路探索だけだ。滞在したホテルのフロントに聞いてみたが、スタッフもgoogleマップを使っていたので情報の深度は変わらない。

もし万が一、日本語でシュタルンベルク湖までの行き方を調べる人がいたら役に立ててほしい。ポイントはgoogleマップを信じないことだ。

 

目的地をルートヴィヒ2世記念碑 (Monument Ludwig von Bayern) に設定しよう。ベルク湖東岸の北寄りにある。詳しいことはわからないが、多分ここに沈んだのではないか。鷗外の『うたかたの記』だと、巨勢とマリイはレオニで車を降り、その近くのレストラン前から舟に乗って間もなくルートヴィヒ2世に遭遇しているので、きっとこの辺りだ。

結論から申し上げると、ミュンヘンからSバーン6番線というやつに乗って、Starnberg駅で降り、そこからベルク湖遊覧船に乗るのが良い。googleマップだとひとつ前のStarnberg Nord駅で降りてバスに乗れと言われるが、バスの本数が1時間に1本程度と少なく、バス停から湖までの道が高低差が大きいので、時間が合わない限りはお勧めしない。

Starnberg駅の目の前に遊覧船の発着場がある。遊覧船のコースには4種類あるが、「Grand Tour」か「Catsle Tour」に該当するものに乗ってLeoniで降りる。英語ページだが時刻表とツアーごとのコースは以下の通り。

Timetable: Timetable - Bavarian shipping at Lake Starnberger See, Ammersee, Tegernsee and Königssee

乗船代は船に乗ってから中のチケットオフィスで支払う。金額は忘れたが、LeoniからStarnbergまでの短距離で5ユーロくらいだった気がする。

Leoniで降りてからは徒歩だ。南下する形で住宅街を歩くと、ほどなくしてハイキングコースのような林道に行き当たる。あとは湖沿いに10分も歩けば、右手の湖に記念碑が、左手の丘の上に教会が見えるはずだ。

 

4月頭のドイツはバイエルンといえどもまだ肌寒く、春の一歩手前だ。林の木々も広葉樹はまだ葉をつけていない。晴れてはいるが硬質な空気に覆われている。

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気候は穏やかで、湖面にわずかなさざなみを立てるほどの風しか吹かない。お誂え向きの日だ。何にお誂え向きなのかと訊かれても困る、「狂王の沈んだ湖を酔狂で見に来るにはお誂え向き」としか言いようがない。まあ、これが雪だろうが雷雨だろうが雹だろうがそれはそれでお似合いなのだが(この前日、ダッハウでは霰が降っていた。そっちはあまりに出来過ぎだと思ったのだが)。

記念碑といっても大仰なものが建っているわけではない。あまりに線の細い十字架がひとつ。

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人が集まっているわけではない。ハイキング中の家族連れが休憩がてら、特に感慨深そうにするわけでもなく目の前の手すりに寄りかかっているくらいだ。ただ見通しがいい。ルートヴィヒ2世がどんな天気のどの時間に沈んだかはわからないが(『うたかたの記』だと夕刻、映画だと早朝だった気がする)少なくともこんな穏やかな午後ではなかったはずだ。こんなにも澄んだ空の青を映す湖面がビロードのように広がるのどかな陽光の下では、彼の繊細に過ぎる死もあまりに間抜けたものに堕してしまうだろうから。

 

ちなみにルートヴィヒ2世が滞在していた頃のベルク城は現存していない。今現在「Schloss Berg」でgoogleマップを検索すると同名のホテル(Leoniの船着場の目の前にある)が引っかかるが、何の関係もないようだ。

 

余談。ミュンヘン市内にあるフラウエン教会は、内装の美しさもさることながら、「悪魔の足跡」が残っているということで有名だ。悪魔が教会を壊そうとしたときについたとも、人の魂と引き換えに建築を手伝った悪魔が報酬を手に入れられず悔し紛れにつけたとも言われる。

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ということで自分の足(23.5cm)と比較してみたが、あれだな、悪魔、わりと標準的なサイズだし、靴履いてたんだな。という感じです。なんだこの余談。

指揮者がすげえと思った話

音楽はよく聴くほうだ。この「よく」というのは頻繁に、という意味であって、決して深い洞察を巡らせたり解釈を掘り下げたりするタイプではない。たぶん一番好きなのは無音で、気にくわない音を遮断するために耳に好もしい音を流しているだけなのかもしれない。自分では軽度の神経症の気があると見ている。

 

それはともかく、大学の頃だったか、同じ軽音楽サークルで似たようなジャンルの音楽を好んでいても意外とルーツってやつは違うもんだねと話したことがある。それで思いついた自分の説明は、「クラシック生まれビジュアル系育ち、ノイズ在住」というフレーズだった。「保健室登校歴のあるやつはだいたい友達」と続く、というのもどうでもいい話だが、振り返るといちおうクラシック生まれなのだと思う。幼稚園に入る頃にはだいたい第一次習い事ブームが起きる。よく遊ぶ友達が何か始めれば自分もやってみたいとねだるのが子供だ。それならと両親が私を連れて行ったのがスイミングとエレクトーンの体験教室で、どうやら生来の運動音痴だったらしい私が早々にスイミングへの興味を失うと、なし崩しにエレクトーンを始めることになった。初めの1曲は「おつかいありさん」。よく覚えているものだ。バイエルあたりでピアノ教室に移った。まだ若い先生で、私が3番弟子くらいだったのではないか。始めたはいいものの、終わらせ方がわからないのは私も両親も同じだったようで、気がついたら高校受験を考える年齢になっていた。

単に撤退のタイミングを見失って続けていたわりには真面目にピアノを弾いていた。真面目かつ怠惰、というのはピアノに限らず私を全面的に説明しうる言葉なのだが、とにかくコンクールの時期などはそれなりに時間も手間もかけた記憶がある。とはいえ、自分ではやれるだけやったはずのコンクールではまたしても次点で、しかもそれまで出場歴のなかった友人(彼女も私と同じタイミングでピアノを始めて、別の教室に通っていた)があっさり入賞してしまった。戸惑いながらも嬉しそうにステージに上がる友人を見て、ああこりゃダメだ、と思った。私にだって出来るような並の努力ではステージには上がれないのだ。やるだけやった、でもダメだった、ここが私の限界点なのだ。

先生は長年面倒を見てきた義理で「音大受験を考えるなら音楽科のある高校を受験してはどうか」と勧めてくれたが、私はピアノを辞めて普通科を受験することにした。中学の部活でやっていた吹奏楽も、高校で続けるつもりは毛頭なかった。音楽はもういい、と思った。誰かが作って、誰かが奏でる音楽を受け取るのがいい。手の届かないものを得ようとして必死で箱を積み上げてきたつもりでいたけれど、その頭上を難なく飛び越えていく人たちがいくらでもいる。彼らには彼らの努力とかつらさがあるのだろうけれど、私はそれ以前の問題だ。今風の言い回しで言えば心が折れたというやつだ。安い挫折。それきり、ピアノを弾くのもクラシックを聴くのも嫌になってしまった。手持ちのMD(そう、まだMD全盛期だったのだ)からクラシックものを削除して、ビジュアル系を上書きした。毎朝、頭を揺すりながら自転車を漕いで高校に通うようになった。

 

という、その辺に一山いくらで投げ売りしていそうなよくある挫折譚はどうでもいい。

時間薬とはよく言ったもので、あれだけこりごりだぜと思った割に、二十代前半を過ぎたあたりでじわじわとクラシックものが聴きたくなってきた。Youtubeグレン・グールドやらフランツ・シフラやらのピアノを聴いてみたり、オケのことは全くわからないながらもとにかく雄大で勇壮なやつが聴きたくてシベリウスやらショスタコーヴィチやらを手当たり次第に流してみたりした。前述した通り、外音を遮断するのに音楽を使うことが多いので、歌詞のない、あるいは歌が入っていても何言ってんだかさっぱりわからないクラシックは都合がいい。が、同じ作曲者の同じ曲を色々な楽団が演奏しているので、どれを聞いたらいいのかさっぱり見当もつかないところが素人の哀しいところで、そこをきちんと調べようと思わないのは私の怠惰なところだ。

とうだうだしながらヨーロッパに赴任して、ふと思い立ったのは「ちゃんとしたオーケストラってやつを聴きに行ってみようじゃないか」ということだった。ウィーンだろうがチェコだろうがベルリンだろうが、とにかく「なんとかフィル」ってやつがヨーロッパにはいくらでもあるのだ。いや、日本にも交響楽団があるのは存じ上げているが、とにかく今がチャンスだ。意外と感動とかしちゃうかもしれない。と、適当な売り出し中チケットを探して気がついた。なんと、ヨーロッパの夏はオーケストラのオフシーズンなのである。そんなの今まで誰も教えてくれなかったぞ。それらしいチケットがあると思ったら、それはチェコフィルのオケではなくチェコフィルに所属する弦楽器隊のアンサンブルだったりする。なぜ夏に全面的にオフになってしまうのかは今もってわからないが、そういうことならばどうしようもない。

秋になってワルシャワに旅行した折、やっとそれらしいチケットを手に入れることができた。ワルシャワフィルと、過去のショパンコンクール優勝者によるピアノコンツェルト。確かにうわすげえ、という感じだった。が、感動とか興奮とかは特になく、やばい、と思ったのは自分の感受性に対してだった。ブラヴォー、とか言いながら立ち上がる婦人紳士たちを眺めながら、どこがブラヴォーなのかよくわからなかったのだ。いやそりゃ上手いだろうよ、だってワルシャワフィルとショパンコンクール優勝経験者だぜ。ホールを出てホテルへの帰り道、ピンクと青の混ざった悪趣味なライトアップに浮かび上がる文化科学宮殿(いわゆる「スターリンの贈り物」)の尖塔を眺めながら、何かの凄さを感じたり、素晴らしさに気づくためには素養と訓練が必要なのだろうと噛み締めた。文化教養資本の圧倒的不足というやつだ。素養が足りないならば訓練を重ねるしかない。

次は年末にベルリンに行って、ベルリンフィルを聴く予定にしていた。演目はベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」。年末ならではの繁忙期をなんとか捌いた出発前日の夜、職場のクリスマスパーティに向かう路上で妙な寒気を覚えた。まあそりゃ寒いからね、とごまかしごまかしアペロを切り抜けたはいいものの、ディナー終盤、目の前に血も滴るような牛肉のステーキが出てきたところで自分が風邪をひいたことを認めざるを得なかった。ひとくちも食えない。付け合わせの人参をつつく私を見て、隣に座った岩のようなドイツ人同僚が「君はベジタリアンだったっけ?」などと尋ねてくる。いやそういうわけじゃないんだけどさ、これはなんというか、not for meってやつかな、などと覚えたての言い回しを吐く自分の口腔内が不味い。ディナーの後も延々続く談笑を切り上げて帰宅し、熱を測ると38度。今夜奇跡でも起こらなければ、明日のベルリン行き飛行機に乗れることはないだろう。私は泣く泣く全てを諦めた。

 

前振りが前振りとは思えないくらい長くなったが、何しろ思いついた順に書いているので仕方がない。ここまでで3,000字近く書いておいてなんだが、推敲する気もない。やっと本題だ。

年が明けてベルリンフィルのスケジュールを確認したら、なんとシベリウスショスタコーヴィチプロコフィエフをまとめて演るという日程があった。どれもこれも「壮大で勇壮でかっちょいい」、オケ的厨二ホイホイといっても過言ではないラインナップではないか。エレガント一辺倒の宮廷音楽をどうにも好きになれないお子ちゃまな私にはもってこいだ。迷わずチケットを押さえ、旅程を組んだ。この旅行の目玉はベルリンフィルザクセンハウゼンだ。最高にスノッブな組み合わせに我ながら満足を禁じ得ない。

 

油断すると震えのせいで昼に食べたカリーヴルストが戻ってきそうなくらい寒いベルリンの夜、私は生まれて初めてオーケストラの演奏に惹きこまれた。プロコフィエフの「交響曲第二番」。Wikipediaの説明くらいは事前に読んでいたが、まさにそれは「鉄と鋼でできた」交響曲だった。難解なフレーズが絡み合うが危なっかしさはどこにもない。心が鼓舞されるようなわかりやすい勇壮さでもない。緊迫感に支配された、急な斜面を駆け落ちるようなトランペットを追う弦楽隊のハーモニーは不思議なほど芳醇だ。それを低音が突き上げるように支える。抑制の効いた中に爆発しそうな力を秘めたフレーズが流れたと思ったら、ともすればヒステリックにも転んでしまうだろう高音が急き立てて目まぐるしく展開していく、なるほどこれはアヴァンギャルドだ。と納得している余裕など演奏中にはなく、かろうじて考えられたのは「これをまとめている指揮者はすごい人なのではないか」ということだけだった。

 

その指揮者が、ディマ・スロボデニュークだったのである。

ステージ上手側、ちょうどコントラバスの目の前あたりに座っていた私からは指揮者の顔など見えない。が、黒いパンツから深いネイビーのドレスシャツの裾を出した彼はずいぶん華奢に見えた。大の男に向かって華奢というのもなんだが、いかにも指揮者でございという感じではない。これだけ難解で複雑なオケを振っていながら、芝居掛かったところは一切なく、淡々としているようにすら見える。厳格にびしびし振るのではなく、空に舞う羽根をかき回すような柔らかくゆったりとした腕の動き。なんなんだこの指揮者は。なんなんだ、というか、指揮者に注目したのはこれが初めてなのでよくわからない。

何かとんでもなくすごいものを見た気がして、彼のことを調べてみた。日本語の情報がほとんどない。仕方ないので英語でいくらか見てみたら、まだ40前半だという。若いのではないか。いや、音楽なんて超早熟の天才がばかすか出てくる界隈だが、なんというか思ったより若かった。ロシア人で、スペインのガリシア交響楽団に次いでフィンランド・ラハティ交響楽団で首席指揮者。その日私が見たのがベルリンフィルでのデビューだったようだ。今改めて調べてみたら、幸いベルリンフィルデジタルアーカイブに日本語版の紹介記事が出ていた。

www.digitalconcerthall.com

ガリシア交響楽団もラハティ交響楽団も初めて聞いた名前だ。何しろ素養がないので仕方ない。で、もう少し調べてみるとガリシア交響楽団というのがなかなかサービスのいい楽団で、ディマ(姓が読みづらいので名で呼ぶが、どうも馴れ馴れしく聞こえるな)の振った演奏をいくつかYoutubeに上げてくれていた。

www.youtube.com

スペインでシベリウスかあ、と思いながら再生して、さらにもうひとつ、同じ楽団の違う指揮者の演目を聞いてみてわかった。指揮者というやつはすごい。指揮者いかんでオケの演奏は一気に変わってしまう。どっちがすごいとかいうのはよくわからないが、ディマの振ったオケは「ディマのオケ」になっている、気がする。つーか、フィンランドで指揮者修行をしたということも大きいのか、シベリウスが超いい。曲も違えば聞いている環境も違うので気のせいかもしれないが、ベルリンフィルだろうがガリシアフィルだろうが、「ディマの振るシベリウス」として同じキャラクターを持っているように感じるのだ。

 

それからいくらか指揮者を気にするようになって、いわゆる「クラヲタ」(クラシック・オタク)と呼ばれるような人たちのディスクレビューなどを読み漁った。どうやらこの道では、楽団より指揮者オリエンテッドに聴くのが主流らしい。今でこそなるほどなと思える、確かに指揮者は音楽を演出するのが仕事で、台の上に立ってしたり顔で棒を振り回すためにいるのではない。

それならちょうどいい、と思った。これからクラシック音楽、特にオケ系への理解を深めるにあたっては、一人か二人、軸にする指揮者を決めておくとよさそうだ。落語を聴き始めるのに、贔屓の噺家を見つけておくのと一緒だろう。ある指揮者を深追いすることで楽団や演目を理解し、並行して同じ楽団や演目を他の指揮者が振ったらどうなるか、という視点で横展開していく。なんということはない、読書や勉強と同じだ。

ということでこれからはディマ・スロボデニュークを追ってみることに決めた。調べてみたら今はなぜかニュージャージーにいて、5月下旬にライプツィヒでゲヴァントハウス管弦楽団を振るそうだ。それが終わったらヨーロッパは前述の通りオフに入ってしまうので、8月上旬にはボストンに飛ぶらしい。業務の都合で8月は日本に帰らないといけないので、目下のところは来月ライプツィヒに行くかどうかだ。その前の週はノルウェーエクス・マキナのロケ地に行くので、2週連続の旅行は厳しいが、これを逃すと次は秋まで待たなくてはならない。悩みどころだが、ライプツィヒ、行ってしまう気がしている。

祈りは依然として遠く(十字架の丘編)

さて、2日間の会議を終え(合間に同僚のポーランド人に巻き込まれて75度のウォッカをショットで食らったりしつつ)明けて土曜日。市内観光はさておいて、リトアニアの北、シャウレイを目指して移動した。目的地は「十字架の丘」だ。

画像はインターネットでもよく出回っているので見たことがある人も多いだろう。小さな丘に文字通り十字架がびっしりとひしめき合っている。

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写真が下手なのはご容赦いただくとして、

十字架の丘 - Wikipedia

いわば巡礼地である。長い抑圧の歴史の中で、殉教者や兵士たち、弾圧された市民を追悼するために、誰知らずいつ知らず、丘に十字架が建てられはじめた。ソビエトが何度か破壊を試みるも、人々はまた十字架を捧げる。いつしか丘は立錐の余地もないほど十字架で覆われ、今日でも新たな十字架は後を断たない。ここは祈りの場所、信仰と抑圧と弾圧の犠牲者を悼む地である。

 

以前も書いた通り、私は「祈る」ことを知らない。祈り方も、祈る相手も、祈るべきことも、いまだにこの手に持たぬままだ。

iwomfpp14.hatenablog.com

だから祈るべき場所を訪れる時はいつでも後ろめたく、引け目のようなものを感じながら足を踏み入れる。人々と同じ信仰も、異なる信仰すら持たず、いわば物見遊山的にその神聖さ、犯されざるべきものを消費するような振る舞いが許されるものではないのだと言い聞かせる。

それでも祈りの場所に向かってしまうのには何通りかの理屈がつけられる気がするが、例えばひとつには「祈られ続けるべきことについて知るため」なのかも知れない。人々が祈りを捧げる。祈り続ける。何年にも、何世代にもわたって織り上げられる祈りの対象は必ずしも神だけではない。十字架の丘がそうであるように。なぜ祈るのか、祈りが何を意味するのか、何を生み出すのか、これらを知るには知識だけでは足りない。「どのような出来事が、なぜ発生してしまったのか」は理屈として獲得できるだろうが、「その出来事が何を意味し、人々に何を与えたのか」は言葉だけでは理解しきれないし、説明するのもきっと難しい。

忘却を拒絶する手段としての祈りがここに成立する。祈りそれ自体は、他者に対して「何があったのか」を語らない。ただ祈る身体が「ここには祈り続けられるべき何事かがあった」ということだけを示す。私は祈る身体(この「祈る身体」には、突き立てられた十字架やそびえ立つ記念碑や燃え続ける火が含まれる)を見て、「忘れられてはならないことが起きたのだ」ということを知る。

 

それでいいのかもしれない。

祈りの場を侵す後ろめたさはいつまでも消えないし、どこまで学んでも私が当事者ではないことは変えられないが、私は彼ら祈る身体を通じて「記憶されるべきことがここにある」ということを知ることができる。何が記憶されるべきか学習できる。

その上で、どうすれば同じ祈りが繰り返されずに済むかを考えなくてはならないのかもしれない。そのために動かなくてはならないのかもしれない。何より、私が当事者側の人間である出来事は極東にいくらでも残っている。今でも種火がくすぶり燃え上がろうとしている。遠く離れた欧州で、まるで縁もゆかりもない国の人々の祈りに思いを馳せるなど悠長で滑稽で傲慢なことなのかもしれない。私は日本を祖国として愛せず、日本が犯し続ける罪を他人事にして逃げているだけなのかもしれない。

逡巡はいくらでも残る。それでも、さまざまな国で、街で、何が起きたのか、何を忘れてはならないか、知らないよりはマシだ。きっと。我々はどこでも同じような理由で同じような罪を犯す。取るに足らない差異をことさらに取り上げて、その差異を劣ったものとみなし、社会から世界から弾き出そうとする。アーレントアイヒマンに対して述べたように、他者を世界から排斥しようとしたその罪によって我々は世界から排斥されるに足る存在となる。

同じ祈りがこれ以上繰り返さずに済むにはどうしたらいいか、理念はシンプルだ。誰もが相互に他者を排斥してはならない。「わたしとあなたは違う」「わたしたちと彼らは違う」という言葉に対して、「そうですね」と答えてはならない。「そうですね、で、それが何か?」と答えることで、「違いますよね、だから切り分けなければいけませんよね」という問いかけの前提をこてんぱんに崩してやらなければならない。

分断と排斥の試みに対して中指を突き立てて、差異は差異のまま、たとえその差異を理解できなかったとしても、互いに理解できないままであることを是として生きてゆくのだ。と、言うは易し、それができていたら今頃血は流れない。

 

そんなことをぐるぐる考えながら十字架の丘をうろついていた。前日までの雪が溶けて足元は泥だらけだ。白いスニーカーなんかで来るんじゃなかった。

十字架の丘の手前には売店があって、小さな十字架を売っている。誰でも買ってメッセージを書き入れ、丘に残すことができるのだ。様々な言葉で何事かを祈る真新しい小さな十字架があちこちに見える。

読むともなしに(というか英語でなければ読めないのだが)見て回っていると、たまに日本語のメッセージに出くわす。「世界が平和でありますように」「みんなが幸せでありますように」なるほど、ちょっとかしこまった絵馬のようなものだと思っているのかもしれない。「○○くんと結婚」と書いてあるものすらある。他人がどこで何をどう祈ろうと私がどうこう言うことではないのだが、お前、はるばるリトアニアの端まで苦労してやって来て、ここが何のための祈りの場所か知っておいて、いくばくかの金を払って十字架を買って、そこで吐露するのがお前の結婚願望か。勘弁してくれ。

 

 

ヴィリニュスに戻ると日が暮れかけていた。

夕食を摂りに入ったレストランで、スープとツェペリナイを頼んだら「それではあなたには多いと思う、まずスープを食べて、それで様子を見て。メインをハーフポーションにもできるから」というスタッフのありがたいアドバイス。素直に従ったところ、彼女の懸念は大当たりで、ハーフサイズにしてもらったメインも半ば無理やり詰め込んだような有様だった。

 

リトアニア、というかヴィリニュス、とてもいい街だった。帰ってから同僚のリトアニア人に「とてもよかった、また行きたい」と言ったら「お前、マジでそれ言ってんの?」と真顔で聞き返されてしまったが。まあ、私も日本に観光してきた非日本人に同じことを言われたら、同じように聞き返すだろうけれども。祖国なんてものはそんなものなのかもしれない。

リトアニア旅行抄(概要編)

リトアニアに行って来た。業務出張だったのだが、日程が木曜と金曜だったのをいいことに、滞在を延長して週末はプライベートだ。

今回の滞在で一気にリトアニアを好きになってしまった。何がいいっていろいろあるが、とにかく雰囲気を気に入ってしまったのだ。近いだけあってポーランドと感じが似ている。ポーランドも好きなので、単に私が東欧好きだというだけかもしれない。

 

さて、リトアニアバルト三国といえば、昨年末にエストニア大使館のツイートがバズったのも記憶に新しい。

 日本人であれば、北から順に50音順だ。つまりリトアニアは三国で最も南西に位置する。上記ツイートの地図をご覧いただければ分かる通り、北はラトビア、東はベラルーシ、南はポーランド、西はロシアの飛び地カリーニングラードと接する。緯度が高いのでわりと寒く、3月も末だというのにぼた雪が降っていた。

 

地理関係から一目瞭然だが、リトアニアは東欧諸国の御多分に漏れず艱難辛苦の歴史を積み上げて来た。ひとことで言うと、ロシア・ソビエトとドイツが悪い。近現代ヨーロッパ史はだいたいロシアとドイツとイギリスが悪いのであえて言及するまでもないが。

詳しくはWikipediaにでも譲るとして、その翻弄されぶりは20世紀の100年間を見るだけで十分だろう。20世紀初頭にロシア帝国から独立するもほどなくしてソビエト・ナチドイツの両国から侵攻を受ける。第二次大戦後はソビエトの構成共和国に編入され、ついに独立を達成したのが1990年。つい最近だ。具体的には、BUCK-TICKがデビューした時、リトアニアはまだソ連だった。これが具体的な例に聞こえるかどうかは人によるが。

北方の痩せた土地、鉱物資源にも乏しく、加えて人民が外圧で離散を繰り返して来たという歴史、現体制が成立してまだ半世紀も経過していないその若さから、近年ではバイオテクノロジーやIT系のスタートアップが盛んらしい。一説によるとイスラエル(テルアビブ)がそのお鉢をリトアニアに奪われつつあるという話だ。

 

そんなわけで、首都・ヴィリニュスはその小ぶりな街の中、おそらく半径5km圏内に300年分の歴史を一気に放り込んだような様相だった。

街を北から西に貫くネリス側の北側は企業ロゴを貼り付けたガラス張りの高層ビルがいくつも普請中だ。その対岸に位置する旧市街にはバロック・ゴシック・ルネサンスなんでもござれの教会たちが立ち並ぶクラシカルな街並み。そして中心部を少し離れればソビエト式の画一的なアパートメント群にグラフィティを添えて、といった塩梅だ。全てが互いに調和を拒否しており、でありながら全てがそこに住まう人々の生活の各局面に溶け合っている。人間の生活の営みだけが破綻しそうな各時代の遺産をつなぎ合わせている。

 

中世まで歴史を遡れる都市ではあるが、欧州の古都には珍しく街は平坦で、大きな起伏がない。きちんとルート設計すれば市内の観光は1日、ある程度博物館を詳しく見るとしても2日あれば余裕だろう。バスやトロリーバスも頻繁に走っているが、市内観光だけならば徒歩で十分だ。

何をおいてもまず教会だ。人口密度ならぬ教会密度というやつがあれば、ヴィリニュスはわりと上位に食い込むのではなかろうか。ナポレオンが「フランスにお持ち帰りしたい」と言ったという聖アンナ教会、神殿のようなヴィリニュス大聖堂、聖堂内の彫刻に圧倒される聖ペトロ・聖パウロ教会、これらのカトリック教会に加えて東方正教会プロテスタントと、思いつく範囲の宗派はだいたい揃っている。東方正教会はどの教会も香を焚き染めてあるということに初めて気が付いた。これも教会を手当たり次第にハシゴしたゆえの発見だ。博物館も数こそ多くはないが、KGBジェノサイド博物館を筆頭に充実した内容を提供してくれる。

 

とにかく物価が安い。全ての生活コストが高いスイスと比較すると、ざっくり3分の1から4分の1といったところか。500mlのミネラルウォーターが0.5〜0.7ユーロ。スープとツェペリナイ(マッシュポテトとひき肉のダンプリング)でお腹いっぱい食べて飲み物をつけても8ユーロくらい。あまりに物価が安いので、現金払いだと少額コインが大量に発生してしまう。が、街角のキオスクでもカードを受け付けるので敢えて現金を使う必要も特にない。タクシーも安い。ヴィリニュス空港から旧市街まで30分弱のドライブだが、料金が10数ユーロでびっくりした。

治安もよさそうだ。滞在中、夜間も含めて危険を感じたことはなかった。

ありがたいのが英語が街中で通じることで、ホテルやレストランはもちろんのこと、タクシーやキオスクでもこちらが異邦人と見ると向こうから英語で話しかけてくれる。リトアニア語、英語のほか、年代によってはロシア語も通じるようだ。なお、リトアニア語で「ありがとう」は「アキュー」みたいな発音である。

 

シティセントラルには小さいながらGO9というショッピングモールがある。この中にリトアニアブランドを集めたセレクトショップがあるのだが、とにかくどのブランドも私のツボを突きまくり、店内で30分ほど正気を失った結果、気がつくと大きな紙袋を下げて送り出されていた。リトアニア土産といえばリネンと琥珀が有名だそうだが、リトアニアのインディペンデントブランド、侮りがたしである。

 

リトアニアはカフェ文化も盛んだということで、街角のいたるところでコーヒーショップを見かける。観光中の休憩場所には事欠かない。

食事は前述の通り安価だが、いかんせんヘビーなメニューが多い。ローカルフードの代表格、ツェペリナイはマッシュポテトでひき肉を包み、蒸したり表面をかりっと焼いたりした上でサワークリームやベーコンビッツオイルをかけて食べる。どう考えてもデブ製造機なのだが、不思議とリトアニアの肥満率は高くないようだ。とはいえ、どのレストランも充実したスープメニューを提供しており、胃弱にとって優しい側面もある。ちなみにヴィリニュス大聖堂近くにラーメン店がある。ヨーロッパで食べるラーメンとしては及第点だ。お店のトレードマークがどう見てもスパゲッティモンスターなのもかわいい。

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ここから観光しつつ思ったことなどを書こうと思ったが、長くなってしまったので別記事に分けることとする。今日はここまで。

ヨーロッパで日本の本を手に入れる

スイスに赴任して1年が過ぎたところだ。

何しろ、生まれて初めてのパスポートを入手したのが赴任の前年というくらい海外に縁がない人生を送ってきたので、仕事も当然ながら生活の不安も大きかった。その内の最たるものが「どうやって日本語の本を手に入れるか」だ。

 

ヨーロッパで大規模な日本人コミュニティが存在するのはドイツのデュッセルドルフくらいで、スイスでは食材はともかく、日本語の書籍を扱う店など望みようもない。かと言って、それなら英語で読もうとか、いい機会だからフランス語やドイツ語を勉強してみようとか、そういう気にはならなかった(し、別に今でもそう思わない)。読書は日常の些事から離れて別の世界、異なる分野に没入してストレスを解消することと、新しい知識を得るためなので、異国語で読書をしても日本語で読書するほどのカタルシスが得られない。そこはお前、せっかく海外赴任してるんだからがんばれよという考え方ももちろんあるが、四六時中努力はしていられない。

日本に帰国する機会は基本的には年2回、それ以上はとてもじゃないが金と時間の都合がつかない。業務で日本出張があれば話は別だが、私の現在の業務は日本はビタイチ関係ないので、そんなチャンスはない。日本出張の機会が多い人も他部署にはいるが、その人たちに「本を持ってきてください」とお願いすることはやはりできない。こちらに赴任している人間は誰も彼も日本でなら手に入る食料品や子供用品などで手一杯だ。そこにかさばる重い本を詰めて来いとはさすがに言いづらい。

 

本の買い方には3パターンある。

1:電子書籍

2:書店で棚をブラウジングしながら気になったものを買う

3:欲しいと決まっている本をネットで注文する

 

まず電子書籍、海外赴任するとなればまず考慮し、周囲からも進められる経路だろう。わたしもいろいろな人に散々勧められた。実際に漫画は電子書籍で読んでいる。が、最大の問題点は「私が読みたい分野は電書化されにくい」という点である。出版部数の限られる人文科学系は、在庫を持つ必要がない電子書籍がある意味お誂え向きではあるのだが、出版社が対応しないのでは仕方ない。もうひとつは私が電子書籍で文章を読むのがどうにも苦手だということで、これまでも何度か試してみたがやはり違和感が大きい。書いてある内容が一緒でも、紙と電子では体験が違うのだ。ロートルと、懐古主義と言われようと、私は紙の書籍と心中するしかない。

次に書店購入だが、これこそヨーロッパでは望むべくもない。日本に一時帰国した時がチャンスだ。興味のある分野の棚を文字通り舐めるように端から端まで見て歩く。そうでなければこちらで日本語書籍を取り扱う書店を探すしかない。私が知っている限りではデュッセルドルフに2軒とロンドンに1軒だ。デュッセルドルフにはまだ行ったことがないが、ロンドンの「JP Books」には何度か行った。日本の地方都市の「まちの本屋さん」程度の品揃えで、雑貨と雑誌と文庫本と新書と漫画と観光ガイドしか売っていないが、贅沢を言ってはいけない。価格も当然のことながら割高だが、贅沢を言ってはいけない。数冊買うだけでポイントカードがいっぱいになって10GBP相当のバウチャーがもらえる。前回訪問したタイミングはちょうどカズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したところで、彼の著書を求める客が来ていたが、当然在庫はなかった。贅沢を言ってはいけない

 

ということで残るは「ネットで注文」だ。日本のネット書店に発注して届けてもらう。21世紀に赴任して本当によかった。このルートがなければ夏目漱石ばりにノイローゼになるところだった。

海外発送してくれるプラットフォームはAmazonなどいくつかあるようだが、私はいつもhontoを利用している。

honto.jp

ポイントは

1:海外から注文する場合、日本の消費税を徴収されない

2:印刷物扱いで発送してくれて、発送オプションが豊富

3:「手数料」がかからない

4:梱包が上手い

日本の消費税など高が知れているが、何冊も買えばちりも積もってそれなりの金額になる。これを免除されるのはありがたい。

hontoの最大のメリットは2点目の「豊富な発送オプション」と3点目の「手数料不要」だ。

配送方法(海外) - ヘルプ - honto

EMS・航空便・SAL便・船便と4種から選ぶことができる。数が少なくて急ぎならEMS、多少遅くてもコストを抑えたいならSAL便と言ったところだろうか。私はたいてい大量に買って重量も増えるのでSAL便だ。EMSなどコストが恐ろしくて使えない。時間はかかるがやむを得ない。発注から到着までおよそ1ヶ月強。会えない時間が愛育てるのさ、とはよく言ったもので、1ヶ月以上待つと届いた時の喜びもひとしおだ。あと、発注してから1ヶ月経つと自分が何を頼んだかだいたい忘れているので、ちょっとした福袋状態(しかもアタリしか入っていない)も楽しめる。

3点目の手数料に関しては、それこそネット通販最大手のAmazonのページを参照いただくのがいいだろう。

Amazon.co.jp ヘルプ: ヨーロッパへの配送料

配送1件あたりの送料は確かに安い。が、「商品1点ごとにかかる手数料」が曲者だ。Amazonが販売するか、マーケットプレイス商品かで異なるが1点あたり350円から500円(発送先国によって金額は異なる)。これが積算されて最終的なコストはhontoを上回る。試しに先日のわたしの購入履歴で比較してみよう。

合わせて22冊の本を買った。文庫本・単行本取り混ぜてこの量だとまず1箱には収まらない。2個口発送になった。これは恐らくAmazonでも同様か、ひょっとしたらもっと口数が多くなるかもしれない。

書籍の税抜価格は39,830円。hontoなので税抜だが、これに8%の消費税がかかるAmazonであればプラス3,187円。

配送はSAL便で9,312円。Amazonの配送情報を参照し、仮にhonto同様2個口で届けてもらったとすると、送料と手数料で計9,900円。Amazonが在庫を持っておらずマーケットプレイス出品者からの購入が混ざったとすると手数料はもっと上がる。

さて書籍代と送料等を合わせた合計金額は、

honto:49,142円

Amazon試算:52,917円〜

最低でも3,775円の差額が発生する。それなりの金額だ。3,800円あればレストランでお夕飯にグラスワインと食後の紅茶が付きますよ。

4点目の梱包の上手さも、ひょっとしたら送料に関わって来る可能性がある。Amazonのガバガバ梱包はネットでもネタになりがちだが、その点hontoは洗練されている、異なるサイズの本をよくできたテトリスのように組み合わせて綺麗な長方形を作り、ビニル袋でくるんで水濡れ破損リスクを下げる。それを適量の緩衝材で包んでダンボール箱に収めるのだが、本のサイズに合わせてダンボール箱を切り折りたたんで梱包を最小化してくれるのだ。ダンボールの大きさ優先で、余白スペースをそのままにするAmazonではこうは行かない。

 

というわけで、海外在住の方で日本の書籍を物理で買いたい、という方にはhontoを強くお勧めします。

蛇足ながらhontoは新刊書店なので、古本は取り扱っていない。つまり、絶版本を手に入れられない。ここはマーケットプレイスを有するAmazonに長がある。古本の購入といえば「日本の古本屋」だが、惜しむらくは海外発送していないのである。サイトを探しても海外発送の文字すら見えない。絶版本が欲しければ一時帰国のタイミングで「日本の古本屋」に注文するなり古書店を回るなりするしかない。

www.kosho.or.jp

 

なお、悪名高いスイス税関だが、今回の購入も関税は徴収されなかった。4万円近くなると危ないなあ、と思っていたのだが、SALの出版物扱いにしてもらったので問題なかったようだ。未開封で届いた。税関が厳しい国にお住いの場合、Amazonなどに発注した荷物が無傷で届くとは思わないほうがいい。

 

ということでhontoをお勧めしたいがあまりAmazonに難癖をつける記事になってしまった。誰かを褒めるのに他の誰かを貶すような真似はするべきではないのだ。言いたい放題言った後だが多少反省している(だが修正はしない)。