祈りは依然として遠く(十字架の丘編)

さて、2日間の会議を終え(合間に同僚のポーランド人に巻き込まれて75度のウォッカをショットで食らったりしつつ)明けて土曜日。市内観光はさておいて、リトアニアの北、シャウレイを目指して移動した。目的地は「十字架の丘」だ。

画像はインターネットでもよく出回っているので見たことがある人も多いだろう。小さな丘に文字通り十字架がびっしりとひしめき合っている。

f:id:iwomfpp14:20180328054430j:plain

写真が下手なのはご容赦いただくとして、

十字架の丘 - Wikipedia

いわば巡礼地である。長い抑圧の歴史の中で、殉教者や兵士たち、弾圧された市民を追悼するために、誰知らずいつ知らず、丘に十字架が建てられはじめた。ソビエトが何度か破壊を試みるも、人々はまた十字架を捧げる。いつしか丘は立錐の余地もないほど十字架で覆われ、今日でも新たな十字架は後を断たない。ここは祈りの場所、信仰と抑圧と弾圧の犠牲者を悼む地である。

 

以前も書いた通り、私は「祈る」ことを知らない。祈り方も、祈る相手も、祈るべきことも、いまだにこの手に持たぬままだ。

iwomfpp14.hatenablog.com

だから祈るべき場所を訪れる時はいつでも後ろめたく、引け目のようなものを感じながら足を踏み入れる。人々と同じ信仰も、異なる信仰すら持たず、いわば物見遊山的にその神聖さ、犯されざるべきものを消費するような振る舞いが許されるものではないのだと言い聞かせる。

それでも祈りの場所に向かってしまうのには何通りかの理屈がつけられる気がするが、例えばひとつには「祈られ続けるべきことについて知るため」なのかも知れない。人々が祈りを捧げる。祈り続ける。何年にも、何世代にもわたって織り上げられる祈りの対象は必ずしも神だけではない。十字架の丘がそうであるように。なぜ祈るのか、祈りが何を意味するのか、何を生み出すのか、これらを知るには知識だけでは足りない。「どのような出来事が、なぜ発生してしまったのか」は理屈として獲得できるだろうが、「その出来事が何を意味し、人々に何を与えたのか」は言葉だけでは理解しきれないし、説明するのもきっと難しい。

忘却を拒絶する手段としての祈りがここに成立する。祈りそれ自体は、他者に対して「何があったのか」を語らない。ただ祈る身体が「ここには祈り続けられるべき何事かがあった」ということだけを示す。私は祈る身体(この「祈る身体」には、突き立てられた十字架やそびえ立つ記念碑や燃え続ける火が含まれる)を見て、「忘れられてはならないことが起きたのだ」ということを知る。

 

それでいいのかもしれない。

祈りの場を侵す後ろめたさはいつまでも消えないし、どこまで学んでも私が当事者ではないことは変えられないが、私は彼ら祈る身体を通じて「記憶されるべきことがここにある」ということを知ることができる。何が記憶されるべきか学習できる。

その上で、どうすれば同じ祈りが繰り返されずに済むかを考えなくてはならないのかもしれない。そのために動かなくてはならないのかもしれない。何より、私が当事者側の人間である出来事は極東にいくらでも残っている。今でも種火がくすぶり燃え上がろうとしている。遠く離れた欧州で、まるで縁もゆかりもない国の人々の祈りに思いを馳せるなど悠長で滑稽で傲慢なことなのかもしれない。私は日本を祖国として愛せず、日本が犯し続ける罪を他人事にして逃げているだけなのかもしれない。

逡巡はいくらでも残る。それでも、さまざまな国で、街で、何が起きたのか、何を忘れてはならないか、知らないよりはマシだ。きっと。我々はどこでも同じような理由で同じような罪を犯す。取るに足らない差異をことさらに取り上げて、その差異を劣ったものとみなし、社会から世界から弾き出そうとする。アーレントアイヒマンに対して述べたように、他者を世界から排斥しようとしたその罪によって我々は世界から排斥されるに足る存在となる。

同じ祈りがこれ以上繰り返さずに済むにはどうしたらいいか、理念はシンプルだ。誰もが相互に他者を排斥してはならない。「わたしとあなたは違う」「わたしたちと彼らは違う」という言葉に対して、「そうですね」と答えてはならない。「そうですね、で、それが何か?」と答えることで、「違いますよね、だから切り分けなければいけませんよね」という問いかけの前提をこてんぱんに崩してやらなければならない。

分断と排斥の試みに対して中指を突き立てて、差異は差異のまま、たとえその差異を理解できなかったとしても、互いに理解できないままであることを是として生きてゆくのだ。と、言うは易し、それができていたら今頃血は流れない。

 

そんなことをぐるぐる考えながら十字架の丘をうろついていた。前日までの雪が溶けて足元は泥だらけだ。白いスニーカーなんかで来るんじゃなかった。

十字架の丘の手前には売店があって、小さな十字架を売っている。誰でも買ってメッセージを書き入れ、丘に残すことができるのだ。様々な言葉で何事かを祈る真新しい小さな十字架があちこちに見える。

読むともなしに(というか英語でなければ読めないのだが)見て回っていると、たまに日本語のメッセージに出くわす。「世界が平和でありますように」「みんなが幸せでありますように」なるほど、ちょっとかしこまった絵馬のようなものだと思っているのかもしれない。「○○くんと結婚」と書いてあるものすらある。他人がどこで何をどう祈ろうと私がどうこう言うことではないのだが、お前、はるばるリトアニアの端まで苦労してやって来て、ここが何のための祈りの場所か知っておいて、いくばくかの金を払って十字架を買って、そこで吐露するのがお前の結婚願望か。勘弁してくれ。

 

 

ヴィリニュスに戻ると日が暮れかけていた。

夕食を摂りに入ったレストランで、スープとツェペリナイを頼んだら「それではあなたには多いと思う、まずスープを食べて、それで様子を見て。メインをハーフポーションにもできるから」というスタッフのありがたいアドバイス。素直に従ったところ、彼女の懸念は大当たりで、ハーフサイズにしてもらったメインも半ば無理やり詰め込んだような有様だった。

 

リトアニア、というかヴィリニュス、とてもいい街だった。帰ってから同僚のリトアニア人に「とてもよかった、また行きたい」と言ったら「お前、マジでそれ言ってんの?」と真顔で聞き返されてしまったが。まあ、私も日本に観光してきた非日本人に同じことを言われたら、同じように聞き返すだろうけれども。祖国なんてものはそんなものなのかもしれない。