ポートエレンを飲んだことはありますか?(remix)

ポートエレン、ええ存じ上げておりますとも。
ご質問に先にお答えしておくと、いまだかつて口にしたことはございませんし、きっとこれからも頂くことはないでしょう。


何も粋人を気取って、珍しいばかりで値の張る酒など呑むつもりはない、などとおためごかしを申し上げるつもりは毛頭ございません。
なんとなればわたくし真摯さと紳士さに欠ける、愛好者を名乗るもおこがましいウイスキー好きに過ぎませんから、それなりのバーに入って珍しいボトルを見れば、それではそこの見覚えのないカリラをひとつ、いやいやなんとそこにおわすはオクトモア、などと落ち着きのない振る舞いに走ることはいくらでもございます。
ですが、ポートエレン。需要の減少に伴い閉鎖されてしまった可哀想な蒸留所。樽の甘みとピートの潮臭さが楽しめる逸品と聞きます。きっと美味しいのでしょう。もとよりアイラウイスキーの魅力に取り憑かれてしまったわたしのような者にとっては、そりゃあ垂涎のお宝になるはずです。


ですが、ああ、ポートエレン。なにゆえにここまで心が踊らないのか。
理由はおそらく明白で、すべてわたしのひねくれた根性が悪いのでしょう。
そもそも、わたしは何かを有り難がるのが下手くそなのです。珍しいもの高価なもの偉い人すごい人、何につけてもモノやヒトに付随する価値を賞賛賞揚絶賛賛美礼賛する力に欠けているのです。情動語彙に乏しいせいかもしれませんし、他者の心情を忖度する感受性が発達していないのかもしれません。単に無神経なだけとも言う。
とにかく、さあ想像してみてください、何かの拍子にポートエレンが目の前に躍り出てきて、ストレートだろうが加水だろうが好きにして召し上がりなさいと促されたとしましょう。あなたもわたしも好きなように銘々のグラスを受け取って、その琥珀色で唇を湿らせるのです。両隣の赤の他人と、目の前のバーテンダーが目を輝かせてあるいは意地悪げにまつげを瞬きながら、われわれの感嘆を待っているのです。
いかがですか。あなたはきちんとひとくち呑み込んで、オーセンティックなバーに似合う、詩情混じりの詠嘆をこぼすことができましたか。周囲を取り囲む審判者たちの相槌と異論をうまく交わしながら、この体験、今は亡き蒸留所で生まれ、故にこの先全ての人類はその残滓をひたすら消費することしかできない不幸を上手に嘆き、ありついた僥倖に感謝できましたか。
わたしには無理なのです、到底果たしおおせない。空想の中ではいつも、唇にグラスをあてがった瞬間、何かとんでもないカタストロフを起こしてしまうのです。ワンショット撒き散らしたり、一息に呑み込んでしまったり、叫び出してしまったり。
そんなこと、赤の他人のまなざしなどを気にかけるからいけないのだとおっしゃるでしょう。何か格好のいい口上がなければならぬという法があるでなし、好きに呑んで嫌も良いも言うも言わぬも勝手にすれば良いと。
はあはあ、ええおっしゃる通りです。第三者の目など伺う方が阿呆なのです。あなたはまったくいつだって正しい。
ですがね、あなた、われわれの目下の仇はそうもいかないのですよ。奴さんが珍品だということなんか誰でも知っている。ああ、いいですねえ、まあ、うん、ええと、さすが、などともごもごするくらいでは到底解放されないのです。そう、張り裂けんほどの賞賛を!落涙せんばかりの感動を!心臓の震えるような哀惜を!


などとくだらない妄想を働かせては疲れてしまうので、ポートエレンのことは考えないようにしているのです。
まあ、懐に余裕があって、いい加減に酔っ払っていて、気易いバーでうっかり勧められれば、まあハーフショットくらいは呑むかもしれませんね。呑むんじゃないかな。たぶん呑むと思います。

他の人にはまねできないようなことがありますか? (remix)

「まねできない」とは卑怯な質問をしますね。

模倣可能性、もしくは複製可能性と言い換えても良いでしょうが、第三者にトレースされない能力や肉体の動き、思索の向かう方向、織りなす言葉の選び方、はた鳴き声や爪の研ぎ具合や尻尾の振り方、そんなものをお持ちかとあなたは聞いているのでしょう。


よろしいですか。仮にあなたが代替可能性を指して「まねできない」というのであれば、それは大変な誤解であり欺瞞です。唯一にして全智、無二にして全能、この世界なるがらくた置き場を創造したところの神なる存在がおわすのであれば、代替不可能なものなどないのです。全てのものは何らかの形で置換可能です。何となればすなわちこの世は神の手になるがらくた置き場に過ぎないのですから、中に放り込まれたがらくたの見目かたちや挙動が多少違ったところで、それががらくた置き場の秩序を組み替えることはないのです。


あなたがどれだけ高く跳ぼうと、いかに素早く表計算ソフトを操り何ギガバイトもあるデータを処理しようと、端正な言葉で風景を描写しようと、美しく笑もうと壮絶に泣き喚こうと、それはあなたのみに許された振る舞いではないということです。あなたの全ては常に模倣可能であり、わたしの全ては何者かの複製の集合に過ぎません。全てです。あなたの指もわたしの瞳もあなたの腎臓もわたしの三半規管もあなたの詩もわたしの思想もあなたの喜びもわたしの苦しみも彼の憎悪も彼女の劣情も、すべてがコピーアンドペーストの成れの果てです。わたしたちはどこまで行っても「新規作成」されないのです。


だから、自分だけに、などと思うのはもうおやめなさい。代替不可能な存在を追い求めるのはおよしなさい。置換不可能でなければ愛されないなどと思い込んではいけません。あなたという存在が必死でしがみつく領域が、常に誰かに侵され得るということを恐れてはいけません。なぜならあなたが侵されるのと同じように、あなたも誰かの足場を侵してここまで生きてきたのですから。複製品として生まれ育ったわたしたちは、誰かに模倣され、何らかの点で置換され、足場を脅かされ、足場を奪い、安住の地を得た気分になりたくて誰かの手を握ろうとして、指に触れることを正当化するために、「あなたでなければ」と言われんがために万人に普遍な唯一性という夢を見てしまうのです。


もうおよしなさい。抱きしめられるための理由を、談笑の輪に加わるための弁明を、金銭を手に入れるための根拠を、名を呼ばれるゆえんを、「他に代え難いあなた」などという幻想に預けるのはどうぞおよしなさい。あなたは常に置き換え可能で、あなたでなければならない必然性など何ひとつないけれど、であるがゆえにあなたはこの世界という名のがらくた置き場の中で、常に受容され、言祝がれるのです。

さびしい炎(Remix)

音にして「さびしい」となる言葉を文字に起こすのに、どれが一番「さびしい」という感情に合うだろうかと考えてみたことがある。

「寂しい」「淋しい」「さびしい」どれも同じ音で似たような感情を表すようだけれど、違う。

「寂しい」は喪失感と後悔と諦念。いままでそこにあった音や動きや温もりがどこかに行ってしまって、追いかけることが出来ずに呆然と立ち尽くす。ほんの少し前まで手の中にあったはずのそれが、もう追っても手に入らないだろうと知っているからその場から動けない。

「淋しい」は、さんずいのせいだろう嫌に湿っぽいというか、水っ気が残る。オノマトペにしたら「めそめそ」とか「じめじめ」とか「しとしと」とかそんなところ、傘を忘れたふりをして雨の中に立ち止まるような、何かを期待している孤独のポーズ。

「さびしい」。何もない空虚にふと放り出すため息よりも希薄な吐息の、あたたかくもつめたくもない温度。あったはずのものが失われてしまった「寂しい」と違うのは、「さびしい」はただ気づいただけだからだ。失ったのではなく、もとより何もなかったということ。空っぽの箱を開けて、中身は失われたのではなくはじめから何も入っていなかったのだと気づいた瞬間の孤独の吐息だ。

 

カミュの『カリギュラ』を読みながらこんなことを考えていた。

カリギュラは不条理な暴君だろうか。いや、確かに彼の思いつきのような収奪や迫害や暴力は、その標的に選ばれた者にとっては十分に不条理だろうけれど、カリギュラそのひとは条理を捨てたわけでも、不条理を為そうとしたわけでもないのではないか。

カリギュラはただ「さびしい」のだ。

ドリュジラの死は彼に「寂しさ」をもたらしたかもしれない、が、カエサルたる彼の「寂しさ」を埋めるものはいくらでもある。「寂しさ」を拭うためにセゾニアとエリコンがいるのだ。父を殺されてなおシピオンはカリギュラのために涙を流すし、カリギュラにとってはケレアこそが空虚な王宮に音と動きと温度をもたらした。饒舌な演説、振り下ろす刃、そんな方法で。

カリギュラの世界は音や動きや温度に満ちている。そうあるように彼は殊更にグロテスクな乱痴気騒ぎを繰り返すのだ。ケレアの謀反こそ彼の待ち望んだ狂騒だ。カリギュラは「寂しい」のではない。「寂しさ」は所詮、一過性の感傷だ。

カリギュラ自身をしてその世界を破綻させたのは「さびしさ」だ。彼は気づいてしまった。音や動きや温度に満たされた彼の世界が極彩色に見えて実はそうでなかったということに。そして、音も動きも温度も色も、彼自身から生まれ出づるものではなかったということに。

世界はありのままでは充分ではない、とカリギュラは言う。そのままでは耐えられない世界という代物の上に立ち続けるために、彼が望んだのは「月」だ。最早何ひとつとして己の内にはないと知り、これから先も何ひとつとして産みだすことができないと悟り、何ひとつとして自分のものにならないというならば、誰も望まず、ゆえに誰のものにもならない「不可能」より他に求めるものはない。

皇帝は、彼自身が「さびしい」のだということに気づいてしまった。「さびしさ」を拭い去る手立てはない。ケレアはいい線まで行った、ふたりの魂と誇りはお互いに向き合うことができたが、しかし交わることはできなかった。謀反の証を火にくべるカリギュラが微笑むのは、束の間の幻想であったとはいえ、「さびしさ」を紛らわせることが出来たからだ。

彼の望みは世界の決まりを覆すことではない。ただ「さびしさ」を慰めたかっただけだ。セゾニアの無償の愛やエリコンの忠誠では「寂しさ」を埋めたとしても「さびしさ」はいや増しに深まるだけだ。彼らはカリギュラに尽くすばかりで、カリギュラに何かを求めはしないからだ。彼らは彼らなりに皇帝を愛しはするが、愛と忠誠を与える一方で彼から何か得ることを決して求めない。情婦と奴隷として至上の姿だが、愛と忠誠をつぎ込めばつぎ込むほどにカリギュラが空虚な箱であることが明らかになってしまう。彼らではカリギュラの空虚を払うことはできない。

カリギュラは「さびしい」のだ。自分ひとりでは何も創り出せないから。自分ひとりでは何も手に入らないから。空っぽの両手を持て余して、いつでも腹を空かせた醜い獣同然であることに気づいてしまったから、だから「さびしい」のだ。己という箱を開けて、そこにはこれからもこの先も何もないことを知ってしまったから、だから「さびしい」のだ。

かのカエサルは極めて無力で、呑み込むばかりで何も産み出せない、恐ろしく巨大な空虚である。そして彼自身がその空虚に呑まれて破綻しつつある。彼は「さびしさ」というブラックホールを認識し、立ち向かおうとする。「月」はついに届かないけれど、カリギュラは最後に叫ぶ。「さびしさ」に呑まれない恐らくはたったひとつの回答は、カリギュラ自身の断末魔となって世界に弾けるのだ。

空っぽの袋(Remix)

どうということもない、ただ何ということもない自分に嫌気がさしただけだ。

140字の世界は悪くないけれど、虚空に向かって言葉を吐き捨てるばかりの自慰行為だけでは何も書けなくなってしまう気がする。

何かを書くことができる私がかつていたのかどうか、そんなことを考えたら余計に嫌気が深まるばかりだ。

 

何かを書こうと思う。

なんでもいい。ただ、達成すべき目的も、報告すべき相手も、承認を求めるべき場も、一切想定しない文章を書こうと思う。

何かを書かなければならない。書こうとしなければならない。私が私を許せるような文章になるまで書き続けなければならない。

 

何かを書かなければならない、と思ったのはこの間の薄気味悪い夢見のせいだ。

見知らぬ誰かの運転する車の助手席で、私はまるで前後の脈絡が掴めない電話に飽きている。それが終わって、何か素敵なことが起こりそうな予感に柄にもなく心拍数を上げた矢先、運転手は眠り、いくら呼んでも目を覚まさない。必死でハンドルに手を伸ばすけれど、やけに遠いハンドルを握るともう前が見えなくなってしまう。車は不思議と一定の速度で走り続け、私はサイドブレーキを引くことをためらっている。細くくねる下り坂を、止まらない車が走る。ああもう駄目だと見上げた空はやたらと白い。路面を噛むタイヤの感触がふと軽くなり、そのくせ引力が発動しない。不思議と安らかな諦念に身を委ねて落下を待つ。エンドロール。

目が覚めてあまりに直喩が明らかで、己の脳の短絡に落胆した。結局、一番上等な幻想を提供してくれるはずの夢ですらこの程度だ。深みも厚みもない。

 

こうしていてもろくな言葉が出てこないことにひたすら焦燥ばかりしている。

操る言葉に美しさのかけらもなく、述べる内容は一片の興味も惹けず、この焦燥をすらきちんと表現できない。

 

書かなければならない。書こうとしなければならない。

この肥大して今にも崩れ落ちそうな自意識を支えるために、書くのだ。

書けるはずだ。内容は何だっていい。書けるようになるまで書くしかない。