エモとバイブスと

エモい、という単語を初めて聞いたのは確か大学生になってからだったと思う。

エモい。emotionalのエモだ。そもそもは「エモという音楽のカテゴリがある(エモーショナル・ハードコア)」というところから話が始まっていたはずで、転じて「エモい」という形容詞が発生したのではなかったか。

使用例その1。

「昨日、実家から荷物届いてさ、ばあちゃんが作ってる野菜と一緒に、家族からの寄せ書き入ってたわ」

「やばい、超エモいじゃん」

使用例その2。

「この間の卒業ライブ(軽音楽サークルに入っていたので、折々にライブがある)で、K先輩、ギター弾きながら泣いてたよね」

「あれはガチエモ」

 使用例その3。

「あの人の提案資料、見た目綺麗なんだけど話飛んでんだよね」

「仕方ないよ、あの人はロジックの人じゃなくてエモの人だから」

さあ、使用例を並べれば並べるほど訳が分からなくなってきたでしょう。エモとは一体何なのか。分からないのに妙な説得力を感じてしまうのは私だけだろうか。

 

で、エモいという言葉とともに生きてきた私だったが、最近新たな語彙を発見した。

「バイブス」である。

残念ながら使いこなすに至っていないが、「バイブス上がる」「いいバイブス」「バイブスがやばい」といった具合に使用するらしい。

なるほど、用例としては私の愛好する「エモ」と大差はないようだ。それはすぐにわかった。

それはわかったが、「バイブスがやばい」って何だ。「が」を挟んで前後どちらも新語である。いや、「やばい」は江戸時代に端を発するという説も聞いたことはあるが、それはさておき、例えば明治時代の人からしてみれば、「スドベリがろぽえる」と大差ないくらい、何を言っているのか分からないのではないか。バイブスがやばいって、なんだよ。何がどうしたんだよ。一体何が起きているんだよ。そんな気持ちになるのではないか。なるはずだ。あたかも我々が「スドベリがろぽえる」というのをビタイチ解釈できないようにだ。

 

さて、エモにしろバイブスにしろ、とりあえずは「情動を揺さぶられる感じ」は伝わってくる。なにしろemotionalもしくはvibesがもとになっているのだ。無理に一昔前の語彙に置き換えるとしたら、「グッとくる」みたいなもんだろうか。情動的というか、そんな感じが近い。

もう少し細かく見てみると、エモとバイブスではややニュアンスが異なるようだ。

エモ:高まった感情で強く訴えかけられる。やや内向的な印象。

バイブス:個人の内面的な感情の動きというより、その結果が発露しているさま。外面に現れている感情、場の雰囲気なども含むかもしれない。

綺麗な対構造ではないが、ひとことにするとエモは情動、バイブスは興奮、みたいな感じだろうか。

「実家から手紙、しかも寄せ書きが来る」という事態に直面した時、人間はつい里心がつくというか、嬉しいんだか寂しいんだか苦しいんだか懐かしいんだか照れくさいんだか、どうにも泣きたくなるような気持ちにさせられるものだろう。よって、実家からの手紙は「エモ」なのである。同様に、卒業記念ライブでギターを弾きながら泣く先輩の姿も「エモ」であり、これが「バイブス」となるとちょっと話が違ってくる。「ステージ上で泣く先輩、バイブス上がるわ」だと、まるで泣く先輩を見世物にして笑っているような、あるいは泣く人に興奮を覚えるちょっと変わった性壁の持ち主なような気がしませんか。ただ、「泣く先輩、バイブスやばいよね」だと嘲笑的なニュアンスがやや落ち着き、高まり切った情動を発露するその状態、先輩を包み込む感情がえも言われぬ熱さのようなものを感じさせる、といったふうにも解釈できる。

使用例3の「ロジックではなくエモ」は「ロジックではなくバイブス」と言い換えることも可能かもしれない。要するに、あのひとは緻密な理屈を組み立てて人を説き伏せるタイプではない、アツい心、溢れ出んばかりのその想いで人を動かすタイプなのだ、と言っている。これを言い換えれば、「あの人はロジックじゃなくてバイブスで来るタイプの人だから」となるだろうか。ただ、「エモ」だと「確たる信念に突き動かされて噴き出す熱き想い」みたいな感じがする一方、「バイブス」で来られると聞くと、どうも広告代理店っぽいというか、妙にチャラついた雰囲気の、目新しい言葉を転がす口先だけの人間を連想してしまうかもしれない。それは私にとって「バイブス」が比較的新しい言葉だからであって、いやはや私も新語に拒否反応を示すような偏屈になってしまったのかと己に対する落胆を覚える。

ちなみに英語でもvibesという単語は使う。「good vibes」は「いい気分、元気」みたいな意味で、やっぱり発露している感じがある。私の周りでvibesを使う人は少ないので、もしかしたらヨーロッパ英語ではなくアメリカ英語なのかもしれない。

 

さてもうひとつ、エモとバイブスで違う点がある。エモはベクトルを持たないが、バイブスは上下するということだ。

つまり「エモが上がる」「エモが下がる」とは言わない。エモとは特定の指向性を持たず、メーターのように上がり下がりするものではない。強いて言えば爆発それ自体がエモなのだ。感情が、情動が、激情が、その高まりに膨張に耐えかねて大きく弾けるさまを指してエモという。

翻ってバイブスは上下する。「バイブス上がる」と言えばいい気分が高まっていることを、「バイブス下がる」と言えば気分が落ちていくことを意味する。そういう意味では今や一般的になった「テンション」と近い。本来ならテンションは上下ではなく緊張・弛緩するものなのだが、もう上がる下がるで一般化してしまったのだから仕方がない。話が逸れた。

 

エモは静的・瞬間的、バイブスは動的・持続的、みたいな感じで何となくうまくまとまってきた気がしたところで、何の気なしにgoogleで「バイブス エモい 違い」検索してみたところ、「エモい世界観にバイブス上がりまくり!!」という見出しのニュースが引っかかってしまった。もう台無しである。バイブスダダ下がり。今回の話は忘れてください。