過去の人生から学べることは?(Remix)

近所のスーパーに、プラカップに入ったスープが何種類か売っていましてね。味もそう悪くないのと何より手軽なのでたまに買い求めて夕飯代わりにするんですよ。
さああなた、こちらのカップを手に取って見てごらんなさい。こちらはハンガリー風グヤーシュのカップです。どうやら600ワットの電子レンジで4分加熱すれば食べ頃に温まるようだということが、そら、その左肩の枠の中ですよ、なんとなく見て取れるでしょう。
ですがね、あなた、問題はこのフタをどうして始末しようかということですよ。軟質なプラスチックというかビニールのようなフタが、カップにぴったりと糊付けされている。これは開けるのか開けないのか、開けるなら全部開けて取り外すのかはたまた半分くらいで留めておくのか、まったく判断しかねるというところじゃありませんか。これは実に我々の人生のようなもので、と言うよりかは、我々の営む生活は常にこの手の問いをやっつけ続けることで成り立っているわけです。フタを開けるのか開けないのか、開けるなら全部開けて取り外すのかはたまた半分くらいで留めておくのか。生老病死愛別離苦と言いますが、突き詰めれば生きる苦しみは全て何かしらの問いに答え続けなくてはならないと言う点にあるわけです。
いやはや話が逸れました。なに。どこかに説明があるはずだって?これは恐れ入った。そうなのです。カップの側面を見てごらんなさい。ぐるりと一回転させるうちに、どこかにそれらしき文字列があるでしょう。そう。そこです。だが困ったことに仏語と独語でしか記述がない。なぜならここはスイスだからです。ウェルカム・トゥ・スウィッツァーランド。
さてどうしますか。google翻訳でも使いますか。おっと何か見つけられたようだ。なになに、あなたは学生の折に独語を第二外国語として選択しておられた。少しは勘所がおありのようだ。そしてどうやら独語で「半分」を意味する単語を見つけられたらしい。なるほど、つまりあなたは、このフタを半分だけ開けてレンジアップすることに決められたわけですな。高度人工知能の手を借りるには及ばんと言うわけだ。なるほどなるほど。やはり持つべきものは知識でげすなあ。あたしのような小学校中退とはわけが違う。
さあさ、電子レンジはこちらです。操作は簡単、あたためモードはこのボタンを一回、加熱時間はこのダイヤルを回せば指定できます。ようがす。かっちり4分。あとはそこのほら、スタートというボタンを押しさえすれば、あとは良きように計らってくれるわけです。
待ち時間に4分というのは誠に半端ですなあ。煙草でも吸うよりほかにない。一服いかがですか。どうぞこちらに灰皿がございます。
などと言っている間にあなた、レンジの方から随分いい匂いがしてきたじゃありませんか。奴さん、十分に温まってきたようですなあ。どれどれ、ありつけるまであと1分半を切ったところです。肝心のレンジの中身は、なにやらガラスが曇ってしまってなにが起こっているかは見えませんが、フタを開けたんだもの、そりゃあ蒸気の一吹きや二吹きはするといったもんですな。まあ待ちましょう。ほら、スプーンを差し上げておこう。
電子音。扉はどうぞあなたの手で開けてくださいよ。おや。どうも様子がおかしい。天板がこんな色だったかしらん。ああなんてこった。開けたフタから沸騰したスープが噴き出して溢れちまってる。南無三。もうカップの半分くらいしか残っちゃいねえ。そりゃあいい匂いもするわけだ。やってしまった。あなたやってしまいましたね。何が悪かったんだか分からんが、ともかくあんたはせっかくの夕飯を半分台無しにしちまったわけだ。レンジの庫内のあちこちに油混じりのスープが飛び散ってえらい有様だ。天板はズブ濡れ。なんてこった。おしまいだ。何をぼやっとしていやがる、とっととここを片付けなきゃいけねえんだ。あんたはこのカップを持ってどこにでも行っちまえ。二度とそのシケたツラを見せるんじゃねえ、このボンクラ。スプーンは置いていけよ。


つまりこうしたわけで、人生というのは概ね、吹きこぼれたスープを片付けるようなものだということです。何言ってんだかもうさっぱり分からん。