他の人にはまねできないようなことがありますか? (remix)

「まねできない」とは卑怯な質問をしますね。

模倣可能性、もしくは複製可能性と言い換えても良いでしょうが、第三者にトレースされない能力や肉体の動き、思索の向かう方向、織りなす言葉の選び方、はた鳴き声や爪の研ぎ具合や尻尾の振り方、そんなものをお持ちかとあなたは聞いているのでしょう。


よろしいですか。仮にあなたが代替可能性を指して「まねできない」というのであれば、それは大変な誤解であり欺瞞です。唯一にして全智、無二にして全能、この世界なるがらくた置き場を創造したところの神なる存在がおわすのであれば、代替不可能なものなどないのです。全てのものは何らかの形で置換可能です。何となればすなわちこの世は神の手になるがらくた置き場に過ぎないのですから、中に放り込まれたがらくたの見目かたちや挙動が多少違ったところで、それががらくた置き場の秩序を組み替えることはないのです。


あなたがどれだけ高く跳ぼうと、いかに素早く表計算ソフトを操り何ギガバイトもあるデータを処理しようと、端正な言葉で風景を描写しようと、美しく笑もうと壮絶に泣き喚こうと、それはあなたのみに許された振る舞いではないということです。あなたの全ては常に模倣可能であり、わたしの全ては何者かの複製の集合に過ぎません。全てです。あなたの指もわたしの瞳もあなたの腎臓もわたしの三半規管もあなたの詩もわたしの思想もあなたの喜びもわたしの苦しみも彼の憎悪も彼女の劣情も、すべてがコピーアンドペーストの成れの果てです。わたしたちはどこまで行っても「新規作成」されないのです。


だから、自分だけに、などと思うのはもうおやめなさい。代替不可能な存在を追い求めるのはおよしなさい。置換不可能でなければ愛されないなどと思い込んではいけません。あなたという存在が必死でしがみつく領域が、常に誰かに侵され得るということを恐れてはいけません。なぜならあなたが侵されるのと同じように、あなたも誰かの足場を侵してここまで生きてきたのですから。複製品として生まれ育ったわたしたちは、誰かに模倣され、何らかの点で置換され、足場を脅かされ、足場を奪い、安住の地を得た気分になりたくて誰かの手を握ろうとして、指に触れることを正当化するために、「あなたでなければ」と言われんがために万人に普遍な唯一性という夢を見てしまうのです。


もうおよしなさい。抱きしめられるための理由を、談笑の輪に加わるための弁明を、金銭を手に入れるための根拠を、名を呼ばれるゆえんを、「他に代え難いあなた」などという幻想に預けるのはどうぞおよしなさい。あなたは常に置き換え可能で、あなたでなければならない必然性など何ひとつないけれど、であるがゆえにあなたはこの世界という名のがらくた置き場の中で、常に受容され、言祝がれるのです。